自分が昇進したこともあってか、この本の内容は、すごく当事者意識をもって読むことができる。目から鱗が何枚落ちたことかわからない。
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具体的にあれをすればいいとかそういうことではなく、抽象的だがきちんと言葉にしておかねばならないところの大切さと、自分の不十分さが身に染みてわかるのだ。
そして同時に、自分の英語の勉強にもなっている。これほどオイシイ話は、なかなか無いように感じている。
ということで今週も、バリバリと読み進めていきましょう。
- 3月6日(月) リーダーの仕事とは
- 3月7日(火) 続・リーダーの仕事とは
- 3月8日(水) リスクとギャンブルの違いとは
- 3月9日(木) 【信頼】を設計する
- 3月10日(金) 例え話は、無条件で響くわけではない
- 3月11日(土) 信頼が醸成される場所
- 3月12日(日) 属すということ
3月6日(月) リーダーの仕事とは
まだまだ確固たる自信があるわけじゃないが、リーダーの仕事とは、プレイヤーとして金を生むことではないということで、大枠は間違えていないという手応えがある。
むしろ、優れたアイデアが生まれるよう、環境をしっかりと創ることが、リーダーの仕事なのだろうと考えている。具体例が1mmも浮かばないが、そうなのだろう、と。
スティーブ・ジョブズは、画期的な商品を作ったのではなく、画期的な商品が生まれ得る環境を創った。そういう例を考えると、やはり間違っていない気がする。
世界観。漠然としているが、これこそ僕が向き合うべき最たるテーマなのは確かだろう。
3月7日(火) 続・リーダーの仕事とは
同じビジョンを持った人間を集めることの大切さを語られるにつけ、僕自身のビジョンは何で、果たしてそれを可視化できているか、よく自問自答する。
その度に不十分などころか、一歩目すら踏み出せていないことに気が付いて絶望する。自分では、せめて何かそれっぽいことができていると感じていたからだ。
しかし現実は違った。ここ最近メンタルに大パンチを食らってゲンナリしていたのもあるが、そういう希望にあふれる何かはノータッチなのである。ヤバい。
本当はもっとしばらく落ち込んでいたいのだが、現実がそれを許さないかのようだ。だが逆にそれの方が、ありがたいのかもしれない。
仕事が終わったら、自分のしたいことや、自分の弱さと向き合おうと思う。それまでは、仕事に対して視野狭窄になってやる。
3月8日(水) リスクとギャンブルの違いとは
ちょっと目から鱗だったのだが、リスクとギャンブルは、若干意味することが違うようだ。
リスクとは、ある程度の信頼やシステム設計により、現時点より失うものが多いようなダメージを防ぎつつも、その手を取れるという感じの意味合いらしい。
いわば、0点か80点、みたいな一手を意味するのではと、今は納得している。
一方ギャンブルは、完全に失うか、めっちゃ得るか、時の運に全てを委ねることを指すという。
こちらは、-100点も+100点もあり得る、本当に博打のようなものである。
つまり、リスクを取ることは、成長に色々と必須な勇気であるが、それはギャンブルとは異なり、損失の部分を事前にカットしておくことは十分に可能なのだという。
従業員や自分にギャンブルをさせず、リーダーの働きによりリスクにまで緩和・軽減させておく。そうすれば積極的にリスクを取りに行ける文化になり、活気が生まれる。
リスクとはギャンブルではない。これは良い発見であった。
3月9日(木) 【信頼】を設計する
組織を成長させるために必要なのは、新しいことへの挑戦だ。そして、ギャンブルではなくリスクを取っても安心できるコミュニティの存在が、それを可能にするという。
例えば原始時代、まだ開拓していないエリアに乗り出すとして、どこのグループにも属していない状態だと、それはギャンブルになる。
怪我をしたり収穫が無かったりすれば、命に関わるからだ。自然と、行動は抑制される。手の届くエリアを延々と彷徨い、そしてじり貧になる。
一方仲間がいれば、共に散策して成功率を上げることもできるし、別のところへ狩りに行った仲間の収穫を分けてもらえば、食いつなぐこともできてくる。
リスクを取らせるために必要なのは、熱いメッセージよりも、安心・安全が担保されたコミュニティなのかもしれない。
「We are lonely, but not alone」で佐渡島庸平氏が説いていた仮説に辿り着いた。また一層の腹落ち感が得られた今、色々と前向きな宿題が増えたと嬉しく思う。
3月10日(金) 例え話は、無条件で響くわけではない
今日の話だが、我ながら?珍しく、ほぼ全く理解できなかった。何を伝えたい文法なのかとか、単語の意味はわかるのだが、内容が全然入ってこないのだ。
理由は簡単。僕が知識をほぼ持たない、軍事作戦のストーリーを例に、話が進んでいたからである。例え話が説明にならなかったケースだ。
もちろん最後まで読めば、総括という形で伝えたい話がまとまっていると思うのだが、読めるけど理解できない部分は本当に集中が削がれる。
ただこのギャップは、普段授業をしている際、僕と生徒の間で頻発してもおかしくない現象だよなとも思った。
例え話が説明になっているのか、どうか。ここは今一度意識を向けてみることにしよう。
3月11日(土) 信頼が醸成される場所
軍隊の例を読み進めてみると、それが用いられた理由が分かった。信頼が醸成される場所の、ある意味究極的なモデルだからである。
徹底的に規則に従うことが前提とされた場所。確かに息苦しさや厳しさはあるが、そこには属しているという実感が強烈に発生する。
個性を発揮せよと叫ばれて久しいが、そこから一つステージを進めれば、組織の個性を確立せよ、という問いに変わる気がしている。
僕自身の我はどうでもいい。グループやチームとして、色を出す方法は何か。軍隊を見る目線が、また少し変わった瞬間であった。
3月12日(日) 属すということ
「人は自分が信じる場所に属していると感じるとき、幸福を抱くものだ」という教えを読んだ。その目線をもって、自分の経験を振り返ると、確かにそうだと腹落ちする。
となれば、僕が今一生懸命やろうとしている、校舎の世界観の構築と発信は、理に適った作戦なのではないかと、少し安心するところがある。
そもそもどんな校舎や組織かを伝えないと、属したい・属したくないのやり取りすら発生しないのだ。無難とはつまり、存在しないのと同じである。
もちろんエッジをワザと演出する気は無いが、誰が何をどんな理念を持って教えているのかくらいは、なんとか日々、形にして、発信したいと思う。
改めてそう誓った。
―ということで今日はこの辺で。