言葉一つで、物事の考え方がガラッと変わることがある。僕にとっては、「成功はアート、失敗はサイエンス」という言葉がそうだ。
要は、上手くいくやり方に共通解など無いが、失敗する方法には不気味なほど似通った点があるのだから、学ぶならそちらだ、という感じの話である。
この言葉を知ってすぐに得心し、以来ビジネス書を読むときも、上手くいったやり方よりも失敗したときのエピソードの方に意識が向くようになってしまったほどだ。
・・・では僕は今、いわゆる成功者の教えについて、上手くいったやり方を全否定しているのかというと、当たり前だがそうでもない。
変えたのは向き合い方だ。そのものを拒否するようにしたわけでは無いのである。今日はそんな、謎の話を書いてみる。
心に火をつけるのは、やはり言葉だからこそ。
自己啓発書とビジネス書の境界は割とあいまいだが、心に訴えかける・働きかけることをどちらも目的としている点を考えると、無理に分ける必要は無いように感じている。
そして、何か事を成した人の言葉は、どれもこれもすごく熱い。あまりにも意識と視座が高すぎて、周りに居たら「イタイ人」と誤解するかもしれないくらい、熱いのだ。
だがその熱量は、不思議なことに読んでいると伝播してくる。なぜだか知らないが、僕の心も「やるぞ!」という感じで、熱が入ってくるのだ。
こんな風に僕は最近、どういうメンタルに持っていきたいかを考えて、それに合致するような言葉が書かれた本を手に取り、それをなぞるようなことを繰り返している。
例えば、少し自分がテンパっているなと感じたら、羽生善治氏の著書をじっくりと読む。また、やる気を出したいと思ったら、箕輪厚介氏の言葉に触れる。
仕事がマンネリ化していると思ったら、堀江貴文氏の著書を読むし、バリバリ仕事をせねばならないときの前段階では、藤田晋氏の本を手に取っている。
そこに書いてある具体的な方法論に関して、真似することももちろんあるのだが、基本は「教科書」ではなく、単なる「読み物」という距離感で接している。
ある本には「小さなことにこだわるな」と書いてあるのに、また別の本には「小さなことにクヨクヨしろよ」と書かれている。
この全てを真似しようと思ったら、あっちにいってこっちにいって、つまり結局何もできなくなるのがオチだと感じている。適度な距離感は、やはり必須なのだ。
上手くいった方法を真似しても、大抵はうまくいかない簡単な理由。
読書感想ブログの方で書き続けているが、今は【START WITH WHY】という洋書を読み込んでいる。そしてこれを読んだことがきっかけで、一つ気付いたことがある。
それは、なぜ上手くいったやり方を真似しても、大抵はうまくいかないのか、その理由だ。そしてそれは、死ぬほどシンプルである。
上手くいったやり方とはつまり、その人の哲学・理念から出発し、具体的な方法を考えて試して改善した結果、いわば完成した作品だから、である。
いわゆる傑作とされる絵画を徹底して模写しても、自分の絵がそれだけで上手くならないのと似ている。あくまで「贋作」として、褒められるだけだ。
クラウドファンディングをしたからお金が集まったのではなく、既に十分な信頼を集め、更にコミュニティにその知識を共有していたからこそ、その手が響いたのだ。
逆に言えば、自分にとって叶えたい目標や夢、理念があり、そのためには何をすればいいかという問いが前提にあれば、上手くいったやり方はすごく勉強になる。
現に、僕は今、必死で生徒数を増やしたいと思っている。その理由は、僕の理想とする塾を考えたとき、もう20人くらい生徒がいても問題ないと感じているからだ。
というよりそれくらい人数がいないと、本当の意味で僕がしたいことができない。貢献したい層に貢献ができない。売り上げという目的もあるが、それが念頭ではない。
ではどうするか?―そんな問いがあれば、上手くいったやり方の見方がかなり変わる。このやり方が響いたのであれば、それを応用してこんな手を打とう。という風に。
天才の絵を観察し、そこに込めた意図を拾って、自分の絵に応用する。そんなプロセスさえ踏んでいれば、僕は成功者の言葉を真似しても言いと捉えている。
だから今日も明日も、僕は人の言葉をじっくりと読む。鵜呑みにするのではなく、参考にするために。
ということで尻切れトンボだが、今日はこの辺で。