やらなければならないと感じつつも、なかなか起こすことができない施策が、僕の中にもちらほら存在する。
最たるものは、広報活動と電話である。実際今も、ダイレクトメールを送りたいと考えて、リストまで作りながらも、発送に至ってないまま数日経ってしまった。
また、昔から電話が嫌いで億劫であり、こちらから掛けるのも、誰かからのそれを取り次ぐのも、本当に気が乗らないので、ずっとしんどく感じている。
しかし、昇進して組織の長になりながら、こういう風に自分をコントロールしきれない部分があるのはやはり頂けないよなと、とかくもやもやする気持ちもある。
一体どうして、僕はこれら2つになかなか行動を起こせないのか?少し自問自答を重ねてみた。
すると・・。認めるのも恥ずかしいくらい、すごくしょうもない2つの原因が浮かんできた。これはもう、白日の下に晒すしかないのではなかろうか。
今日はそんなお話である。
ケース1:その作業が生理的に嫌い説。
「生理的に無理」という言葉がある。これは恋愛において、女性が男性をフるときの常套句であり、それ以上でもそれ以下でもないと考えていたが、実は少し違うようだ。
「生理的に無理」とは、特別な理由がなく本能的に相手を受け入れられない状態のこと
という感じ。確かに嫌いなのだが、その理由を言語化できていない。そんな状態を指す言葉だというのが本当のところだと、今は得心している。
例えば、ゴキブリは皆に嫌悪感を抱かれる。僕もそこまで得意ではない。しかしその理由や感情を言葉にするのは骨が折れる。生理的に嫌いと言う状態の好例と言える。
―実は、僕はビラ配りという作業が、本当に嫌いだ。だがその嫌いな理由を、僕は上手く言葉にすることができない。つまり、生理的に嫌いなのだ。
こういう場合は、それを無理に好きになろうとしても、絶対に無理だ。食わず嫌いという説もあるっちゃあるが、僕は何度試しても、全部等しくそれが大嫌いなのである。
自分が今取り組もうとしている作業に、嫌悪感を抱く。必要だとわかっていても、それ以上に気持ち悪さや辛さが勝ってしまう。しかも経験を重ねても、改善しない。
もしそうであるなら、別の人に助力を頼むことがその唯一の解決策となる。その人の時間を生むために作業を肩代わりしたり、きちんと対価を支払ったり。それが最善手だ。
生理的に無理な仕事に、無理に取り組んではならない。多分待っているのは、もっと大嫌いになる未来か、それによって心に謎の傷を負う未来しか、僕は無いと考えている。
ケース2:その作業の解像度が低すぎる説。
なにかの特性だと考えているのだが、僕は文字を可視化しない状態のまま頭に残しておくことが、非常に苦手である。
例えば会議の話が脱線すると、集中が秒で切れる。そのまま議題についていけなくなるのは日常茶飯事であり、言っちゃあれだが、もう諦めている。
その関係か、僕は電話が非常に苦手だ。できれば避けたい。大概のことはテキストのやり取りで済ませたいと本気で考えている。
結果、行動が遅いと怒られる。だから脂汗をかきながら、勇気を振り絞って電話をする。本当に毎度毎度、寿命が縮むような感覚を持ってしまう。
そんなことを何度も繰り返すうちに、気が付いたことがある。僕はなぜ、僕が非常に苦手とするやり方に工夫をしないまま、それを継続しているのだろう、と。
その際に思いついたのが、僕は電話というやりとりの解像度が低すぎるのでは、という問いだ。つまり、電話の何がそんなに苦手なのか、改めて考えたのだ。
すると、ビンゴ。僕は正確には電話が苦手なのではなく、文字に残せない状態で伝えるべきことを伝え、聞くべきことを記憶するのが、大変苦痛なのだ。
だから事前に、聞くべきことを箇条書きするようにした。するとそれだけで、メンタルの安定度合いはかなり増した。
それができないときは、聞くべきことを頭の中に浮かべ、その数だけ指を折りたたんだ状態で電話をするようにしている。
例えば、「氏名」「学校名」「希望のコース」を尋ねるときは、親指・人差し指・中指を折りたたんだ状態で電話する。そんな風に。
生理的に嫌いと言うレベルまで行かないのに、どうにも作業に対して気が乗らないときは、多分その解像度が低すぎるのが原因だ。
しっかり自問自答して、本当に自分が難儀しているところを掴むことをオススメする。
てことで、2つほど紹介してみたが、これらは両方すごくしょうもないが、同時にすごく普遍的な原因ではないかと、僕は勝手に納得している。
ということで今日はこの辺で。