個性とは何かを自問自答して、それを基に色々調べてみると、不思議なもので僕の場合、大抵名前が付いた何かに行き当たる。
自覚している具体的な思考・行動・価値観を言葉にして検索をかければ、例えばADHDとか神経症とか、ちょっと病んでる的なフレーズで、僕を規定されるのだ。
あたかも、僕の知らない誰かに、「お前はこういう人間だ」とレッテルを貼られているかのような感覚を抱く。よく道徳の授業で否定される「決めつけ」というヤツだ。
だが「決めつけ」自体は、実を言うとそこまで悪いことではない。むしろ、適度な距離感を保つことさえできれば、自分を深く理解する一助になると考えている。
今日はそれをテーマに、「決めつけ」との正しい向き合い方を考えてみたいと思う。
「かもしれない」と思っていればOK。
「決めつけ」を生産的に活用するコツは、「絶対にそうだ!」と思い込むのではなく、「かもしれない」程度に捉えて、あくまでも参考に留めることに尽きる。
例えば僕は、自分が生き辛さを感じる瞬間をよくよく考えてみた結果、ぶっちゃけ僕の中には、HSPという個性もあるのではと考えている。
自分がヘマをすればどこかで笑っている人がいるとしか思わないし、他人のネガティブを勝手に受信して、心身共に疲れ果てることなんてザラだ。
そう考えて、試しにさっき、簡易的な診断をやってみた。すると、まぁ思った通りの結果が出たわけで。予想通り過ぎて、別に驚くことは1つも無い。
ただ、僕はこれこそが自分という人間の全てなのだとは、全く考えていない。僕 is HSPなんてのは、極めて暴論だろう。
あくまでも、僕を構成する何かの一側面に、HSPと名前が付けられた個性が隠れているかもしれない。その程度で受け止めている。
こうやって「決めつけ」ないように注意し、意識的に距離を取る理由は、自分を責めないようにするためで、かつ視野狭窄に陥らないようにするためである。
違いない、違いないと強く思いこむことは、言葉は強いがガチの精神疾患の症状の最たるものだ。シャルル6世の逸話を読むと、そのことがよくわかる。
本当に心の底から決めつけてしまうと、そこから先へ問いが進まない。そこだけは注意した方が絶対に良いと思う。
ということで続いては、そうやって距離を取ったうえで「決めつけ」を健全に使う方法を、ざっくりと紹介していこう。
モノサシを一つずつ確かめる。
HSPと調べると、その特徴として簡単なチェックリストが山ほどヒットする。一例を紹介しよう。
- 周りの人に「敏感」「内気」と言われることが多い
- 生活の急な変化に弱く、動揺してしまう
- たくさんのタスクをこなさなければならなくなると、混乱してしまう
- 大きな音や強い光が苦手
- 些細なことでも、深く考えすぎてしまう
- 芸術に触れると大きく心を動かされる
- 忙しくなると、一人で静かに過ごせる刺激の少ない場所にこもりたくなる
- 他人の気分に振り回されやすく、対人関係に疲れがち
- 小さな音や匂いも気になってしまう
- 映画やドラマの暴力的なシーンが苦手
―この内、当てはまるものは結構あるが、同時に全く当てはまらないものも存在する。例えば僕は、映画やドラマの暴力的なシーンは苦手だが、格闘ゲームは好きである。
また、些細なことを深く考えすぎるのはもはやお家芸だが、別に大きな音や光はそこまで苦手でもない。どちらかと言えば人ごみの方が嫌いである。
芸術に触れて心を動かされた経験は、残念ながらあんまりない。ただしそれにアニメを入れていいなら話は変わる。クレヨンしんちゃんで何度泣いたかわからないからだ。
―こんな風に、一概にHSPの症例と言われても、それが自分に当てはまるか否かは個人差があって当然なのだ。だからそもそも、徹底的に「決めつける」のは無理がある。
しかし、どんな弱点も、秀でた点と表裏一体だ。HSPとされる人には、こんな長所があるという。
①微細な情報が心の奥まで届く
②音やにおいなどの微細な違いを察知できる
③深く多角的に考えられる
④危機管理能力が高い
⑤共感力が高く、気配り上手
⑥想像力が豊かで、内的世界が充実している
・・・これらについても、自分に当てはまると感じることもあれば、そうでないと思うものもある。だが一番大事なのは、判断がつかない、盲点だった項目である。
仮に自分がHSPだとして、もしかしたらクリエイティブなことに向いているかもしれない。しかし芸術に関する活動をやったことは一度もない。
もしそういうのがあるのなら、それは新たな自分を発見する大チャンスだと言えないだろうか?
自分の特性を一旦「決めつけ」てみて、その長所を探し、試したことが無いものを実験してみる。いわば、まだ見ぬモノサシを、自分に当てていく作業だと言える。
闇雲に、あてずっぽうに、「俺はこれが向いているかもしれない!」とあれこれ試すより、遥かに精度が高いと僕は考えている。
こう考えてみれば、「決めつけ」もまた、価値ある思考だと言えるのである。
終わりに:弱点の克服にはどこまで取り組めばいいか?
この仕事をしているとよくわかるが、苦手とする科目が、得点源レベルで得意な科目にまで変わるケースは、本当に数少ない。
むしろ人並みのレベルになることさえ珍しいくらいで、苦手意識の強さと厄介さを、つくづく感じさせられる。
そのことは、僕自身もそうだと感じている。たくさん勉強して、色んな術を試してきたが、僕自身が抱える生き辛さは、31歳になってもまだまだ制御し切れていない。
幸い、友達がゼロになるレベルで拗らせてはいないから、それでいいかと今は前向きに諦めている。
それよりも例えば、環境を変えればどうなるか、人に助けてもらえばどうかという風に、苦手なところをイジらないまま何とかできないか、そういうことを考えている。
だから僕は、弱点を克服するというより、自分が持つ他の能力やツール、他力で補えないか、そもそも長所として活用できないか、そう自問自答する方が健全だと思う。
この生き辛さを転じて、少しくらいマシに生きたい。その方法はきっとある。そう前向きに信じて、あまり自分を枠に嵌め過ぎず、まだまだ考えたいと思う。
では今日はこの辺で。