最近、斎藤一人氏の著作をまたコツコツと読んでいる。そして色んな本に触れていく内、共通して登場する考え方に、いくつか気付くことができた。
その中でも、最近急に腑に落ちたものがある。それが、乱暴に言えば「暇そうにしていると、客が遠のく」という考え方だ。
本で紹介されていた考え方は、例えば10人しか入らないお店が満席になったからと言って、急に50人入るようにすると、人がまばらになって客が減る、とかそんな話だ。
空いたスペースの存在は、それだけで「繁盛してないな」という印象を生んでしまう。そんなことを言っているのかなと、そのときは思っていた。
だが今は、もう少しだけ、このときよりは深いことを考えられるようになっている。それがタイトルにある、「場所に仕事をさせる」というものだ。
今日はそんな話をシェアしていく。
人を動かすことだけが全てではない。
リーダーの仕事とは何かというと、すごく機械的な言い方をすれば、「最も効率よく人を配置し、動かし、最大の成果を生むこと」みたいな話をよく聞く。
だから僕も至極自然に、「どうすれば各人が最も力を発揮できるだろうか」という観点から、職場環境に目を光らせるようにしている。
しかし、最近ふと気付いた。それだけでは不十分だ。もっと言えば、活用できていない場所を見つけて、それを潰すことも必要だと思ったのだ。
仕事をさせるべきなのは、人間だけではない。場所もそうなのだ。斎藤一人氏の著書を読んで、ようやっとここに気付くことができた、という感じだ。
・・・これだけだと全く何を言っているかわからない。だから具体例を用いて説明する。
例えば校舎の窓を考えてみる。窓の仕事(機能)は、外の景色を見せること、風を遮ること、日光を取り入れること等が浮かぶが、できるのはそれだけだろうか?
「新年度受講生募集中!お問い合わせはお電話で!!」みたいな大文字を貼っておけば、それだけで窓の機能に「広告」が追加される。
ヘンな言い方だが、全部の窓が、窓としての機能だけを果たす必要があるかと言われれば、眉唾物ではなかろうか。そのうちいくつかは、別の仕事をしても良いではないか。
何も置かれていないスペースも、観葉植物を置けば、校舎美化という仕事が追加できる。ただ白いだけの壁も、掲示物を貼れば、色々なメッセージを発信できる。
どうすれば、余すことなく「場所」にも仕事をさせることができるのか。人の教育・研修ももちろん大切だが、また面白い観点を得られたなと、ひそかに心躍っている。
多動の本質とは?
ここまで考えたとき、ふと「このことって多動力に書いてある話にも通じるな」となんとなく思った。それは、カルピスの原液の話である。
自分の思想や理念、発言を多くの人に発信してもらうことで、一人の人間が生み出すとは思えない量の成果を仕事ができる。そんな感じの話だったと思う。
いわば自分の分身を生み出せという教えだ。その比喩として、カルピスの原液という話は、すごくしっくりくる。
そしてその分身は、何も他者の存在が絶対ではないよなと、当たり前のことに気が付いた。僕の思想や理念、発言は、掲示物やブログ等でも拡散ができるからだ。
一歩間違えればナルシストと思われる考え方ではあるが、僕が創りたい校舎・文化を構築する役目は、場所に任せることもできるはずだ。そう感じている。
場所に仕事をさせることに、もっと敏感であろうと思う。では今日はこの辺で。