嬉しい悲鳴はまだ続いている。入ってきた問い合わせに応対し、担当講師を決めて、研修を行い、授業が回るところまで確認して、また次のタスクに着手する。
錐もみ状態になりながら走り回っているせいか、寝ても疲れが取り切れないことが増えてきた。だから、睡眠の質を優先すべく、しばらく酒を止めようと誓ったほどだ。
・・・とはいえ、こうやってドタバタしながらも、自分の仕事っぷりの効率の悪さに気付いている点もある。一時期よりはマシになったが、僕はまだまだ完璧主義者だ。
及第点を設定することと、それで満足することが無茶苦茶下手で、いつでも決断を遅らせ、100点を取るために頭を絞りあげているせいで、仕事が遅々としてしまう。
性格と言ってしまえばそれまでなのだが、いい加減ほとほと疲れたので、何か自分ルールなどで円滑にできないかと、折に触れて考えている。
言うなれば、70点をさっさと取る方法、そしてその70点で満足するマインドセット、そのリサーチと練習が自分にとっての急務なのだ。
一応仕事と仕事の間は、なるべく意識的に5~10分程度空けるようにしており、その時間でチマチマと他の人の仕事術を調べて真似している、という感じだ。
すると、自分にハマるそれらに、いくつか出会えた。今日はそれについて、効果を添えて共有したいと思う。
アイゼンハワーマトリクス
タスクの優先順位を4つに分けて管理する「アイゼンハワー・マトリクス」とは? - GIGAZINE
最近知ってすごく勉強になったのが、このマトリクスだ。僕は我ながら仕事のトリアージが下手であり、全てが緊急かつ重要なタスクに思えてならない。
どうすればそのメガネを外せるか呻吟していたのだが、僕にとってこのマトリクスは、すごくいい観点だと思っている。
仕事を書き出すということは日常的に行っている。ただ、それを仕分けるのは、正直すごく適当になっている。術を知らなかったためだと思う。
緊急かつ重要なことは、今すぐ自分でやる。緊急ではないが重要なことは、隙間時間にやる。緊急だが重要でないことは、今すぐ人に依頼する。
そして緊急でも重要でも無いことは、今は無視する。その観点から分析していくと、驚くほど抱えている仕事が明白になり、同時に頭がくらくらする感覚が弱まっている。
僕はつくづく、タスクは夜空を埋める星のようなものだと思っている。空を見れば大量に星が見えるのだが、その密度は実際のところ、太平洋にスイカ三個分だという。
そんな風に、実際はしなくても良いことまで含めてタスクを書き出して眺めた結果、多忙という錯覚や妄想をしているのではないか。今はそう納得している。
ちなみに僕は、HSS型HSPという気質があるようだと薄々感じており、何なら診断を貰うためにどこかを受診しようかとさえ、確信に近いところまで考えている。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
どうやら他の人よりも「どうでもいい」という判断をするのが圧倒的に下手くそなので、仕組みとして仕分けを行えるルールは、僕の中にマストなのだと悟っている。
瞑想
仕事がたくさんあるとしか思わない、何から手を付けていいかわからない、頭がぼーっとする・・こういう症状が出たら、頭のCPU使用率が100%になっているようなものだ。
PCに置き換えれば、人体においても何をすればいいか、結構明確に理解できると思う。例えば、ある程度処理が終わるまで待つとか、無駄なプロセスを止めるとか。
そして無駄なプロセスを止める方法は先述したので、今回はある程度処理が終わるのを待つという、静のやり方を提案したい。
無意識下で行われていることなので認知することは不可能に近いのだが、実は脳はサボるということをしないそうだ。
あることを考えた後であれば、たとえ意識が他のことを考えているときも、その更に深い脳の領域でその情報を処理しているのだという。
わかり易いのは、どうしても思い出せなかった人の名前や、革新的な問題の解決策というのは、得てしてリラックス中に閃きやすいというあれだ。
それを意識的に実行することができれば、つまり脳のリソースをフルに使い倒すことが可能になる。疲れそうな話だが、得られる成果は大きそうだ。
だから僕は、仕事中であろうと、例えば駐車場や誰もいない部屋にふらっとエスケープして、2~3分ただただぼーっとするという時間を、たまに取るようにしている。
日頃から瞑想をしているとよくわかるが、感情は本当に持続しない。2分前に何を感じていたか正確に思い出して、それを憑依させるのは不可能に近いのだ。
「ああ、今はテンパってんな」と自分を慰めたかと思えば、「今外をトラックが通ったな」と思っている。そういう感情や思考の動きを、ただただ観察する。
余談だが、呼吸に集中すると思考を手放せるとよく言われるが、実は何に意識を向けたらそのモードに入りやすいかは、個人差があるという。
例えば僕は、目を閉じて、周りから聞こえる音に意識を向けると、うまいこと感情や思考からクラッチを切れるように感じている。参考にどうぞ。
終わりに:根本となるマインドセット。
これら2つの方法は、あくまで手段である。スポーツで言う技や所作の一つ一つに等しい。テクニックばかり鍛えれば、果たしてそのスポーツを極められるのか。
それは疑わしいということは、自ずとわかるのではなかろうか。例えば基礎的な運動能力も同時に高めていかねば、テクニックは無用の長物になる。
雑な例えだが、踵落しのコツを習い、日頃から練習するだけじゃなく、開脚の柔軟体操を取り入れた方が、もっと急速に習得までが早くなるのではなかろうか。
ということで、完璧主義を止められない、無駄に多忙な状況から抜け出せずに消耗している状況では、一体何が起きているのか。根本となる考え方が歪んでいるのだと思う。
僕は、自愛が足りない。もっと言えば、自分に対する慈悲の心が全くない。自分に厳しいどころか、自分で自分を攻撃しているようなものだ。
他者評価に依存し、それの有無を根拠にしなければ、自分を認めてあげられない。日頃は気をつけているのだが、多忙になり仕事量と連勤日数が増えてくると、疎かになる。
もっと日頃から自愛の心を己に向けること。それが結局、多忙に殺されないために、一番大事にして基本的な、そして困難な考え方なのではと捉えている。
先は長い。だからこそ忍耐強く取り組もう。では今日はこの辺で。