精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

「気にしない」とは「考えない」という意味、ではない。

「気にしない」という言葉がある。これはある意味自分に言い聞かせる言葉でもあり、また人に向けて励ましの狙いを込めて伝える言葉でもある。

 

意味合いとしては、考えても仕方ないことや他者の言動に関して、クヨクヨ思いを馳せても無益なんだから、考えるのを止めようぜ、という感じだろうか。


試しにWeblio辞書を引いてみると、こんな風に紹介されている。

 

思いわずらわない。くよくよしない失敗などを気にして思い悩まない

 

なるほど、すごく大事な心掛けには違いない。世の中には考えても答えが出ないのみならず、考えれば考える程心が疲れるようなことなど、ごまんとある。

 

だが、「考えない」ことは、少しやってみるとわかるが本当に難しい。脳は基本的におしゃべりなのだ。

 

その声を消すことなんてのは、人生をかけて修業をしたとしても、果たして可能になるようなシロモノなのか、本当に眉唾だ。

 

「気にしない」とは「考えない」ことと考えていると、とはいえ考えすぎてしまって疲れるから、どうしていいかわからない。そんな袋小路に嵌るばかりだ。

 

だから僕は、最近「気にしない」の意味合いを変えるようにしている。結果、心は割と穏やかで、いい感じにコントロールできているな、と思う。

 

ということで今日は、僕がその意味合いをどう変えたか、簡単にまとめてみたいと思う。

 

 

「気にしない」とは、「別のモノに集中する」という意味。

 

「気にしない」と考えるということは、既に「気にしている何かがある」ということだと思う。

 

例えば、「試合の結果が気になるけど、仕事に関係ないから気にしない!」とか、「あの人に強く当たられたのが気になるけど、気にしない!」という風に。

 

ところで、そもそも「気にする」とは何なのだろうか。これも辞書で引いてみると、こんな風に書いてある。

 

心にとめて不安に思う。心配する。

 

・・・ここから感じられるのは、不安という感情を、強めにその対象に向けているというニュアンスだ。だから、気にしないという一言を唱えただけでは消えないのだ。

 

だから僕は、この強い感情をうまく活用できないかと考えた。意識が強く向くとは、つまり集中しているということである。

 

そう思って、「気にしない」のではなく、他の何かを気にするという考え方に変えてみたのだ。

 

いわば、「気になる」というどす黒い何かが湧き出たのを察知したら、別の健全な何かを「気にする」のだ。

 

例えばさっきも3年前なら1日ダメにするレベルで嫌な報せがあったのだが、それを察知し、「逆に次の授業に対し、ゾーンのレベルで集中する!」と決めた

 

もちろん日頃から授業というのは気を張っているが、その比じゃないくらい、それこそ全神経を注いで、問題演習の様子を羽生睨みするくらい打ち込んでみた

 

するとそのイヤな気持ちというか、ショックで頭の先が冷える感覚というのが、すっと流れてどこかに消えてしまっているのを、今しっかりと認識できている

 

受け流し方さえマスターしておけば、チャレンジすることへの抵抗や恐怖は和らぐ。精神論も大事かもしれないが、僕はダメージを癒す術の方がしっくり来ている。

 

「気にしない」と気にしすぎて結局気にしてしまう人は、この辺りの考え方を試してみるのはどうだろう。

 

ということで、今日はいつもより短い記事ではあったけど、今日はこの辺で。

 

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