精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記123】"START WITH WHY"読書感想ブログⅫ ~成功とは~

ありがたい話なのだが、先月から今月にかけて、新規入塾が10件以上あった。これは嬉しいのと同時に、ある意味基盤がグラついている状態だとも考えている。

 

新規を優遇して常連をおざなりにすれば、結果崩壊が始まる。ヘンなメッセージを対内的に出さないよう、雰囲気や文化、サービスにはすごく慎重になっている。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

―だからこそ、本書みたいな、組織運営に関する盲点を指摘してくれる本は、非常にありがたい。自分事として考えながら読むことで、見つめるべき箇所が勝手に出てくる。

 

今僕がやっていることは、劣化版とはいえ、「学びてときにこれを習う」という教えそのものだと思う。試せば試すほど、新しい仮説が勝手に生まれてくるからだ。

 

ということで今週も、新たなヒントを得るために、ゴリゴリと読んでいきましょう。

 

 

4月17日(月) 哲学を込めよ

 

ブランドを創るためには、一貫性と、WHYを具体化したシステムやアイテムが大事だと言われる。もちろん、質の高い商品は前提なのだが。

 

いわば、その人が考えていることが、はた目から見てもわかるようにすることが大事。この章では、繰り返しそのことが書かれている印象だ。

 

哲学を込めるためには、自分が思うカッコよさ、追求したいものをしっかりと言語化し、落とし込むことが要となる。

 

そういう目線で他塾の設備・インテリアなどを観察したのだが、やはり見え方が異なってくる。真似したいものもたくさん見つけることができた。

 

他人の哲学をキャッチできるようになれば、自分の哲学も見つけやすくなるかもしれない。自問自答は終わりが無い。だから楽しいんだなと、つくづく思う。

 

4月18日(火) 自分が退いた後

 

何度か書いた話だが、やはり僕は、自分がプレイヤーとして知識・単元を教える側にあるのは、あと数年くらいなもんだと考えている。

 

理由は簡単で、勉強を教えること一本で飯を食えるカリスマ性も無ければ、実を言うと、指導一筋でやっていくことが、自分にとって面白い働き方ではないからだ。

 

僕が創りたいのは【場】だ。生き生きと働き、共に学ぶ講師と生徒を見ている方が、僕はずっと幸せである。いわば、管理と営業が、僕にとっての次のステージとなる。

 

となると、どれくらいの水準に届けばそれは達成できて、そして自分が退いた後は誰にどう託すのか、新しい視座の問題が次々に登場してくる。

 

あと数年。自分が退いた後のことも、たまには考えようと、改めて思った。

 

4月19日(水) 続・自分が退いた後

 

時を告げるのではなく、時計を作る。ビジョナリー・カンパニーに書かれている一節のタイトルであり、一見するとよくわからない話である。

 

ただ、会社とは自分の権力の具現化した物と捉える人は、往々にして落ちぶれるか、その人が抜けた後に会社の没落を経験する例が、不気味なほど多い。

 

自分がいなくなっても機能するように、一つの作品として、会社を創り上げる。そんな意味ではないかと、今は薄ぼんやり納得している。

 

僕が抜けたら、今の校舎は機能するだろうか。おそらくだが、普通にすると思う。理由は、僕がまだ、何のレガシーも残せていないからだ。

 

まだまだ色々、経験値も知見も僕には足りていない。しかし足りていないことはつまり、学びの原動力になり得る。

 

ポジティブ過ぎず、ネガティブ過ぎず、そんな風に割と妥当なことを考えている。

 

4月20日(木) 託す、ということ

 

我ながら現在、面白い問題に直面している。それは、自分の仕事の何を手放すか、熟考しているというものだ。

 

現在提供しているコンテンツは複数あるのだが、今はその全てに結構な比重で噛むようにしている。ただそろそろ、自分のキャパを超え始めたのも感じている。

 

新規問い合わせを受け取り、面談を取りながら、幼児向けコンテンツを回し、気になる子が居たら親と話をし、急遽の教育相談さえ取る。

 

もちろん授業だって仕事の一環であり、個別授業も集団授業もブン回しているのだが、同時に広報についても頭を絞らねばならない、と。

 

とはいえ、託すことと放任と丸投げは、それぞれが微妙に違うという実感もある。上手く託すとは、どういうことなのだろうか。

 

託すことに失敗すると、一時期のAppleスターバックスみたく、理念を丸ごと見失い、見事に傾き、退いたはずのリーダーが復帰するなんてことにもなり得る。

 

今まで考えたことのない、「あと」の話。本書の終わりの方は、いよいよ未来の話だ。それについて考えるときが来たかと、何か打ち震える気分である。

 

4月21日(金) 「成功」≒「Success」?

 

成功を英語で書くと「Success」。スペルが少し難しいが、中2くらいでは書けるようになっていてほしい英単語である。

 

―この「Success」に「-or」を付けると、「Successor」となるが、こちらの意味はご存じだろうか。サクセスした人なのだから、成功者なのか。実はそうではない

 

意味合いとして強いのは、「後任者」なのだ。日本語で考えると、成功は達成して終わりという感じがするが、英語では、引き継ぐことが成功なのだという。

 

確かに、例えばビル・ゲイツMicrosoft社を創ることに成功した、という風に日本では語られるが、この本では、引継ぎに失敗したという風に紹介されている。

 

次の世代に理念ごと託すことができて初めて「Success」なのだとしたら、徹底して”線”で考えられた、深い話のように思う。今度じっくり語源を調べようっと。

 

・・この章に触れたとき、自分の中でまた少し、「リーダーの意味合い」が変わってきた。まだ昇進前、色々考えた結果、自分が目指すべき像をぼんやりと決めた。

 

僕は、「ガードレールを作るリーダー」になりたい。曖昧・不安を仕組みと言語化でぶっ壊し、安心・安全を担保し、プレーヤーに気持ちよく授業をさせてあげたい。

 

自分が先頭に立って何かを引っ張るのではない。そういうのもあり、講師という働き方の引退まで考えているくらいなのだ。

 

そしてこの本を読みながら、「何を託したいか」を考えてきたが、まだ僕はこれを考える段階に無いのではと、うすうす感じ始めている。

 

むしろ、「何を僕の代で終わりにしたいか」を考える方が、やるべきことが明確に定まっていく実感がある。託すばかりじゃない。残さないのもまた、後世のためなのだ。

 

「何を僕の代で終わりにしたいか」。繰り返し呟くと、とても重要なテーマに思える。時間を取って、腰を据えて向き合う所存である。

 

4月22日(土) 明文化しないのはリーダー最大の失敗

 

ウォルマートの創設者「サム・ウォルトン」は市井の人だったようだ。莫大な財産を気築いた後も堅実な店舗運営を行い、自身も質素な生活を継続したという。

 

なぜ自分たちは働くのか。誰に奉仕するのか。視座が上がってもそこを見失わず、現場にも顔を出すなど、まさに成功者のモデルケースたる人だったそうだ。

 

―が、その人が"唯一にして最大のミスを犯している"と筆者は指摘する。それは、自分の理念をきちんと言語化しておかなかったこと、だそうだ。

 

それゆえ後継者はウォルマートの方針を取り違え、当初ウォルトンが目指したものとは別物になる端緒になってしまったのだという。

 

これは極端な例だろうが、自分が考えていることとその理由を語らないリーダーは、確かに危険である。

 

黙して語らず、1を聞いて10を察せよというのは、僕が嫌いな価値観だ。「そこまで言わんでも大丈夫だろう」と思うとき、例外なく説明が不足しているように思う。

 

自分の口から語るのはもちろんだが、例えばブログなどを通じてもっと対内的に思うことを伝えていく。できることは、まだあるはずだ。

 

4月23日(日) 誰が託されるかもまた読めない話

 

ウォルトンの理念をウォルマートが引き継ぐことは上手くいかなかったようだが、そのトーチをきちんと受け取った会社は、他にいたようだ。

 

それがコストコだ。僕は一度も使ったことが無いが、その素晴らしさは方々で聞かされる。当初のウォルトンの想いを汲み取ったという意味では、こちらの方がそうらしい。

 

豊富な品揃えと良心的な価格設定のみならず、従業員に対する手厚いケアも評判なのだという。それこそ、「株主にカネを回さない」と批判されるほどだそうだ。

 

それでも、最低限の給与を社長が受け取り、徹底して従業員や顧客に還元するという姿勢は、すごくウォルトンの話に通ずるものを感じさせられる。

 

自分の理念や想いを受け取ってほしい人が取り損ねても、思わぬところで繋がることがある。残酷だが、同時に夢がある話だなと、僕は感じている。

 

―ということで今日はこの辺で。

 

 

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