精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

講師のやり方を「見守る」ことの難しさと大切さと奥深さ。

僕が下手くそだと自覚していることの一つに、誰かを「信じて待つ、見守る」というのがある。その人のスタイルに一任することが怖く、どこかヒヤヒヤするという感じだ。

 

自分が手を入れないと、今より悪化する。そんな未来ばかりを視てしまう。こんな猜疑心にまみれた人間が校舎長とか、即交代モノだろうなとすごく申し訳なくなる。

 

しかし僕が目指す理想の組織は、あらゆることが共有されて、安心・安全が担保されたそれだ。その一環として、僕は僕の猜疑心に打ち克たねばならない

 

今日は改めて、その意思表示を、記事という形でしたためたいと思う。

 

 

なぜ任せられないのかという不安を言語化する。

 

不安に打ち克つには、まず取り組むべき対象を明確にしなければならない。そのためには客観視が必要であり、その端緒として、ディスクリプションはとても有効だ。

 

そこで、自分が心に抱えている葛藤を、包み隠さず言葉にしてみる。器が小さいことがモロバレだが、大きくするための第一歩なので、初手などすごくどうでもいい。

 

実際にやってみると、こんな風になった。

 

自分が指示をしたやり方でやらずにエラーが出たとき、その責任をその講師に負わせることになる。それはすごく申し訳ない。

 

守るためにはこちらでルールを策定し、その範囲内で好きにやってもらう必要がある。しかしその範囲内でさえあれば、完全に好き放題するのもどうなのか。

 

実際今日も体験が一つあり、依頼したのは「仲良くなること」だったのだが、結果単元の指導よりも雑談がメインになっている様子を見て、正直血の気が引いた。

 

しかし結果生徒は満足そうだったし、保護者も「まぁ体験ですし、雰囲気がわかれば御の字です」というリアクションであり、蓋を開ければ成功寄りだったように思う。

 

今回正しかったのは、多分その非常勤だ。だがそれはたまたまであり再現性が無いのかもしれない。となれば、僕はそれを叱責すべきか、賞賛すべきか?

 

見守ることが大切だと信じながらも、そこに恐怖を抱く自分の矛盾に憤りを感じる。そう思うと、腹の辺りが重くなるのを同時に感じてしまう。

 

というところだ。ここで分かったが、僕は結局、自分の想定の範囲外の行動・言動に対し、強いストレスを感じてしまうということなんだと思う。

 

理屈では、手を出さず、信じて見守ることは大事だとわかっているハズなのだが、自分の性格もといメタがそれを許していないというあべこべっぷり。それがよくわかる。

 

しかし「リーダーの条件」「リーダーの仮面」を読むと書いてあるが、放任だけするリーダーは悪いものだが、ギチギチに管理するリーダーも同じくらいダメとされる

 

指示は出し、具体的に達成してほしい目標も伝えるが、そのプロセスは考えさせるし、報告を受けるに留める。そうやって成果を出しにかかるのがリーダーの仕事だ。

 

そしてその折衷案として、僕は「ガードレールを作るリーダーになる」という誓いを立てた。論理的に考えても、それは間違っていない。

 

託し方を間違えているから不安になるのかと思ったが、恐らく違う。もっと根源的なところにエラーがある。その目線で考えると、折り合いをつけるべき対象がわかった。

 

僕自身の、任せることそのものへの不安だ。相手が誰かなど関係無い。クモを見たら大体の人が恐れるのと同じように、原始的な部分で僕は託すことを不安に感じている。

 

だからもっとここをしっかり解きほぐし、認知の歪みを正していけば、「見守る」ことが今以上に腑に落ちるのではと考えた。

 

以下、そこから先の自問自答のログである。

 

「託すこと」の何が怖いのか。

 

一任すると、果たしてどんなリスクがあるのか。まずはそこを自問すると、すぐにそれは炙り出せた。「どうしよう」という不安だ。

 

例えば、一任してご家庭からクレームが来たら「どうしよう」。自分の知らない部分が増えて収拾がつかなくなったら「どうしよう」。そんな風に。

 

しかし、この「どうしよう」が不安の根源だと認識してから、どこか拍子抜けする気持ちがある。なぜかというと、この解決策は、自分の中で結論が出ているからだ。

 

それは自分論破だ。セルフコンパッション的な自問自答の一切を封印し、すごく現実的に「こうなったら、こうしよう」という対処策を次々決める。それが一番いい。

 

ご家庭からクレームが来たら、謝ったうえで講師交替。自分の知らない部分が増えて収拾がつかなくなったら、報告させるというルールを設ける。

 

そうやって不安を一つ一つ取り出しては、対処策をダダダダと決めていくことで、すごく心が落ち着いていく。一度落ち着けば、すごくどうでもよくなる。

 

結局、大抵の悩み事など似たようなものだ。所詮、実体が無いから不安なのだ。だから実体を与えてやれば、勝手にその内消えていく。

 

今僕の心は平和だ。別室で授業をする講師の様子は、いい意味で気にならない。放置ではなく、単に何がどうなってもどうにでもできると構えられているだけだ。

 

心配するのも親心と言えば聞こえはいいが、僕が託される側なら、信じて見守っていてほしい。フィードバックは、終わってから頂きたい。

 

シンプルな話だが、それを人にやってあげればいいのだ。灯台下暗し。僕は基本的なことを見失いかけているようだ。

 

それに気づけたのは御の字である。いい内省であった。

 

僕はもっと、あらゆることを見守りたいと思う。期限を決めて、信じて待ちたいと思う。その先に結果、自分が創りたい組織があると思えてならないからだ。

 

では今日はこの辺で。

 

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