精神年齢9歳講師のブログ

"よいこ"から程遠い目線から、授業のネタ、講師としての日々、そしてたまには教育や子供について、真面目なことを基本毎日書いてます。

自分の責任だと受け止めることと、自分を責めることは、似て非なる全くの別物。

斎藤一人さんの言葉の一つに、最近やっと言わんとすることが掴めたものがある。それは、「何が起きても自分のせい」といった感じのセリフである。

 

松下幸之助さんの言葉「雨が降っても自分のせい」にも似ているのだが、僕はこの言葉を、メンタルを病みうる極めて危険な言葉だと解釈していた。

www.exness.co.jp

 

「雨が降るという自然現象さえも自分のせいだと思うなんて、毎日毎日自分をいたずらに責めることになるじゃないか?」と思っていたからだ。

 

・・・ただ最近ようやく、特に「自責」と「反省」と「検証」の解像度が上がった恩恵か、この言葉の別の意味が、自分の中に立ち上ってきている。

 

後は、マーフィーの法則的な不思議な因果を、ここ最近ずっとずっと感じ続けているというのも大きい。

 

今日はそれらをまとめて、一つの記事を書いてみる。

 

 

「自責」と「反省」と「検証」の違い。

 

この言葉の言わんとすることを理解するために、まず「責任を取る」という言葉を丁寧に分解することから始めよう。

 

僕自身もそうだったのだが、責任を取ることは、自分を責めることとはまるで別物だ。言うなれば、前者は大人で、後者は子供の論理である。

 

子どもの頃は、悪いことをした際に求められたことは、弁償や再発防止策ではなく、どれだけシュンとするか、つまり反省していることを態度で示すことだ。

 

それで乗り切る経験ばかり重ねると、大人になってもそれを発動することしかできなくなる。反省を態度で示すばかりの大人は、なんて幼稚なのだと思わないだろうか

 

その理由はこの辺にある。だからまず、自分を責めて物事が解決するのは、子供の間だけという冷厳だが当たり前の事実を、きちんと認識するのがイイと思う。

 

そこで活きてくるのが、「反省」と「検証」という考え方だ。ここには感情を込めず、あくまで、「どのシステムがエラーを起こしたか」だけを分析していく。

 

例えば授業に対して生徒制御が上手くいかなかったとき、「自分が未熟なばかりに・・」というのは自責だ。そればかりに終始して解決することは、もう無い。

 

この場合は、僕だと「知識・経験不足が原因では?」と「反省」し、実際にそこを改善すれば良い方向へ向かうのか、実際に勉強してから「検証」する。

 

感情論にならず、自責をせず、淡々と反省して検証するのを繰り返すのが、本当に責任を取ることではないかと思う。

 

ただこの思考法は、大学受験の小説読解と同じで、それ特有の考え方の修得が必要になる。だから必要なのは、知識単品だけではなく、その場数だ。

 

そういう意味では、「雨が降っても自分のせい」とくらいに構えて、そのメガネをかけて世界を見た方が、単にその思考を修得するのが早く、深くなるということだろう。

 

雨が降ったらどんな不都合があり、それを改善するにはどうすればいいか。むしろ雨であることを活用するとしたら、どんな手段があるか。

 

そう思えた方が人生は楽しいと思う。

 

余談だが、「反省しろ!!」と態度の表明を求めてくる人は、自分に自信がなく、単に人を跪かせて、偽りの優越に浸りたいだけの面倒な性格の可能性がある

 

できるだけ距離を置いて、あまり関わらない方が吉。政治家の人の考え方に倣うなら、とっとと頭を下げつつも、心の中で超見下す、という考え方がいいかもしれない。

 

”逃げても100%回りこまれる”

 

マーフィーの法則めいているが、ここ最近僕に気味が悪いほどの偶然が連続している。それは、逃げても100%回りこまれるというものだ。

 

僕は白状すれば、言葉が通じない学年の子供たちと接するのが好きではない。低学年向けのコンテンツを運営してこそいるが、本心ではあまり気乗りしていない程だ。

 

だからなるべく人に任せて、そういうキャッキャする環境から距離を置くよう、こっそりと取り組んできた。

 

しかしその度に、偶然のはずの出来事が必ず狙ったように発生し、絶対にそれらと相対することになるため、本当に気味が悪いと思っている

 

例えば新年度のシフトを動かして、自分以外の人がそのコンテンツを受け持てるようにした瞬間、その人にしかできない授業の問い合わせが来て、その手が使えなくなった

 

逆に自分のコマを埋めて「無理っす」と言おうとしたら、不気味なほどその時間が都合が悪いところが連続し、頑なにそこが埋まろうとしない

 

そしてなんだかんだで別の人にお願いしたところ、その人もそういう幼児向けコンテンツは嫌なようで、管理に消極的であり、場が少し荒れ始めた

 

仕方ないので人員を増やすよう取り計らって、新しい講師は来たのだが、今度はその人が体調不良で長期離脱することになってしまった。

 

―だからもう、諦めた。神様という存在がどんなものかは知らないが、ぶっちゃけ頭に来ている。そこまで俺にこれをさせたいか、と。

 

もう真正面からこのコンテンツに向き合うことに、腹を括った。逃げても100%回りこまれる。ならば異物は頭から噛み砕いて飲み込んでやる。

 

不思議なことも起こるものだが、これもまた自分の責任だ。好きになる努力をする気はさらさらないが、無難に切り抜ける方法は絶対にあるはずだ。

 

僕以外の人間は嫌なことから逃げられるようだが、僕は無理。単に前世でやらかしたとかそういうのじゃなかろうか。ならもう、ここで終わりにしておきたい。

 

自分の責任だと受け止めることと、自分を責めることは、似て非なる全くの別物。このことはしっかり意識しながら、だけど。

 

では今日はこの辺で。

 

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