精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「見守る」と「放任」の区別がつかず、しんどいでござる。

今日は完全に時間が無いため、本当に今パッと思い浮かんだことを、終業後につらつらと書いてみようと思う。

 

最近、新非常勤講師が増えた。僕自身はベテランの比率が高いままにしておくのは危険なことだと考えているため、新人の登用には割と積極的である。

 

僕は「最高の授業をさせる」というより、「最悪な授業をさせない」ことに注力しており、例えば生徒から要望を聞くだけじゃなく、単元の問題集の画像も必ず送らせる。

 

それを講師に送る際、キャラクターとしてはどうで、好き嫌いはこうでといったプロフィールも、なるべく細かく書き添えている。

 

ここまでやれば最低点は取らないはずだというところまで、情報を手渡しする。可能なら授業冒頭に立ち会い、最初の壁を壊すところまでヘルプすることもある。

 

我ながら過保護なことをしているとは思うが、とはいえこれくらいはやってあげるのが校舎長としての務めだろうなと、そういう風に独り言ちている。

 

しかし最近、僕には「見守る」という心がけが欠けているなと思うことが増えてきた。自分が補助しまくっている結果、僕の仕事が終わらなくなってきているからだ。

 

昔は定時に帰ろうと思えば帰れたのだが、最近は無理だ。権限や裁量、知識として僕にしかできない仕事が多すぎて、処理しきれないのだ。

 

さらに言えば、業務時間内で処理しきることさえ難しくなってきたため、テスト対策などの繁忙期である今は、普通に休日を潰して仕事に充てている。

 

ここまでやって、なぜ僕は人に仕事を依頼できないのか。薄々わかっているが、それは不信感ではなく、放任に対する猛烈な抵抗と不快感だ。

 

今日はそんなお話を致す。

 

 

自分がされて嫌なことは他人にしない。

 

僕なりのマーフィーの法則として、「自分がイヤだと思ったことからは絶対に逃げられない」というものがある。

 

授業を乱す言動を繰り返す生徒が居たとして、その生徒が辞めても、なぜか不思議とまた別の和を乱す生徒が出てきて、その関係性に難儀するように。

 

だから僕は、日常生活から嫌なことを取り除くという発想は、もう諦めている。最小限のダメージで切り抜けて、1日のどこかに回復の時間を設ける方が健全だろう。

 

そしてそんな僕が猛烈に嫌なことは、放任されることである。丸投げと言ってもいい。特に期限も内容も指示されず、仕事だけ振られるあの感じが、めちゃ嫌いだ。

 

手柄は帰せず、責任は帰す。どの会社でもあるあるなやり取りを何十発と食らった結果、この要素が少しでもあると、人に依頼するのが気持ち悪くなってしまった

 

例えば、ある書類の作成を依頼したいと考えても、それによって生まれた時間で特に自分がカネを生めそうもないと思ったら、そうすることを躊躇ってしまうように。

 

病気だ。それは自覚している。それに、負荷を与えて見守ることをしないと、チームとして成長が鈍化するということにも気づいている。だがそれが難しい。

 

一体なぜかと考えたが、僕は恐らく、「見守る」と「放任」の区別がついていない。自分がされて嫌だったことは人にしない。だから絶対に放任はしない。

 

しかしその結果、本来成長のために手渡すべき経験値ごと、僕が根こそぎ奪っている。定時を思い切り過ぎた今、疲れ切った状態で悟っているのは、そういうことだ。

 

レベル80のポケモンを81にするのに要る経験値で、レベル20のポケモンを23くらいにはできるのではないか。チームとしての成長のためには、僕は後者を採らねばならない。

 

しんどいならば、やり方を間違えている証拠。僕の眼前に突き付けられているのは、僕のマネジメントの欠陥だと言える。

 

放任ではない。見守っているのだ。自分をそう納得させるため、これからも自問自答を重ねたい。

 

では今日はこの辺で。

 

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