精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

感覚過敏と強い嫌悪感の繋がりと対処法を知りたい。どうしても、知りたい。

僕は感覚過敏気味のようで、ここ最近何度も書いているが、特に子供の大声がものすごく嫌いである。感情的にストレスが閾値を超えそうになる。

 

今日もそれを知ってかわざと大声ではしゃぎ回った小6の男を、割と感情的に叱ってしまった。(最後は冷静な教えに着地したけど)


だが厄介なのはそこからだ。その強い感覚過敏によって感情を逆撫でされてからというもの、腹が立つやら不快感が消えないやらで、全く仕事が手につかなかった

 

その出来事から4時間くらい経過した今、ようやく落ち着いて文字にできているほどだ。控えめに言って、クソマジでムカつく

 

一体、感覚過敏と強い嫌悪感にはどんな繋がりがあるのか。単に「嫌な気持ち」と定義するには、あまりにも濃く腹立たしいこの気持ちは一体何なのか。

 

その繋がりを知りたくて色々と調べたこと、今日はそれのまとめを書いてみる。

 

 

そもそも僕は何に対し、強い嫌悪感を抱いたのか?

 

当初僕は、その問題行動をする生徒個人・個体に対し腹立たしさを抱いているのだと仮定していた

 

少し悪趣味な話だが、思考実験と称し、脳内でその子を感情全開で叱り飛ばす場面や、両親に現状を伝える場面を想像してみたことがある。

 

だが結果意外なことがわかった。全く気が晴れないどころか、何かズレたことをしているという感覚が先に立ったのだ。

 

腕を鍛えようとして腕立て伏せをしてみても、何かしっくりこない感覚と似ている。(ちなみに腕立て伏せは、大胸筋と肩の前部を狙う自重トレである)

 

話を戻すと、要するに僕は生徒個人に腹を立てたり、苛立ったりするわけではないのだ。

 

その後も思考実験を重ねた結果気付いたが、僕はやはり、純粋に行為そのものに対し、ムカついている

 

その子たちがそういった行動を引っ込めていれば、僕は何も腹が立たない。しかし、親しい友人が声を荒げている場面を想像すると、それでも腹が立ってくる。

 

というより、腹が立つという表現も、ものすごく解像度が低いという感じがしている。ただ残念ながら、それを正確に表現する言葉が、自分の中に無い。

 

それを表現する方法を改めて色々探してみたが、どれもこれも何故か、しっくりこない。

 

実は強い嫌悪感は、その日~翌朝まではまず持続するが、それを過ぎるとどこかへ消えてしまうことが大半なのだ。思い出したくても思い出せないほどである。

 

12時間くらい僕を腹立たせていた感情はどこかに消えて、フラッシュバックすることも基本、無い。だからこそ時間差で分析ができず、すごく悶々とする。

 

・・そんなとき、じっくりと視聴したわけではないのだが、ある面白い考え方を紹介している動画を見つけた。

kobebookcafe.com

 

人生を最適化というと何かうさん臭さを感じるが、寝起きは確かにクリエイティビティが覚醒しているような感覚はある。

 

少し思考の次元が違うというか、明らかに目覚めてすぐの微睡モードのときは、考え方の質が普段と違う。論理的に思考しているはずなのに、全く思い出せないのだ。

 

なにか貴重な真理に辿り着いたのに、きれいさっぱりそれを忘れることは、不思議だとずっと思っていた。この動画を観て、書き留めるという発想が無かった自分に驚いた

 

感覚過敏と強い嫌悪感の繋がりを解くカギは、寝起きにあるのかもしれない。すごく不思議でへんちきりんな結論だが、しばらくこれを試しつつ、様子を探りたいと思う。

 

また何か進展があったら記事にしまーす。では今日はこの辺で。

 

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