―というタイトル通りの質問をいきなりされたら、僕は腕を組んで考え込んでしまうだろう。最近ふとしたきっかけで考えてみたが、僕はこれを言語化できていない。
そのきっかけとは、「仕事の辞め方」という本だ。かなりタイムリーに出版されたので、結構衝動買いに近いのだが、だからこそ生々しい胸の内を読むことができた。
「自分は何のために働くのが楽しいのか」「ワクワクしなくなったことを自覚したらどうするのか」といった問いかけが散りばめられていて、その都度僕は立ち止まった。
モチベーション。この言葉自体は何か子供だましの響きがあって、あまり好きではないのだが、大人になってからこのことを考えたことが、どこかない気がする。
今の自分のモチベーションに関することで心底納得しているのはたった一つで、僕はモテるという報酬に一切のやる気を見出せない、ということだけだ。
つまり、何をしているときが楽しいかを、意外と把握していない。まずはWHYから始めよという名著があるが、少なくとも僕は自分の原点を分かっていないっぽい。
こういうときはChatGPT先生にお願いして、その辺を自然と深掘りできる質問に答えるに限る。今日は(というか、今日も)そんな記事である。
- 「自分が本当に楽しいと感じる瞬間はどんな時ですか?」
- 「過去に達成したことの中で、特に誇りに思うものは何ですか?」
- 「自分が努力を惜しまないと感じる分野や活動は何ですか?」
- 「成功体験を得たときに感じる感情を思い出してみてください。その感情は何ですか?」
- 「もし時間やお金の制約がなかったら、何をして過ごしますか?」
- 「困難に直面したとき、どんな理由でそれを乗り越えようとしますか?」
- 「どんなときに、最も自分自身を価値ある存在だと感じますか?」
- 「尊敬する人やロールモデルは誰ですか?その人のどんな点に惹かれますか?」
- 「自分にとって『成功』とは具体的にどんな状態や成果を指しますか?」
- 「過去にモチベーションを失った経験があるとしたら、それはどんな状況でしたか?どうやって乗り越えましたか?」
「自分が本当に楽しいと感じる瞬間はどんな時ですか?」
ジャンル問わず、自他問わず、自分が立てた仮説や理論が、バチっとハマッたとき。自分の教え方然り、身体の不調が良くなったとき然り。
例えば、何度も練習し、何度も「こうしたらどうか」と自問自答した結果、レースゲームの自己ベストを更新できたときの感覚にすごく近い。
「過去に達成したことの中で、特に誇りに思うものは何ですか?」
自分でも驚いたが、やっぱりどう考えても、英検1級の合格。
もちろんそれを鼻高々に自慢したいなんてチンケなことは考えていないが、報われるまでの長さを考えると、これが一番にくる。
「自分が努力を惜しまないと感じる分野や活動は何ですか?」
広義の勉強。知らないことを知ろうとすること、理解できないことを理解しようと努めること。
「成功体験を得たときに感じる感情を思い出してみてください。その感情は何ですか?」
マジで、「安堵」。ほっとしたという感覚。これは、嬉しさに先んじるほどである。
「もし時間やお金の制約がなかったら、何をして過ごしますか?」
旅をして、見てない名所を見て回る。あるいは、触れたことがないエンタメに徹底して触れ続ける。主に国内だろうけど。
「困難に直面したとき、どんな理由でそれを乗り越えようとしますか?」
現状の分析、対処法の仮説立て、実行、得た知見を基に対処法を再度修正、実行。いわゆるOODAループと言われる手法。
「どんなときに、最も自分自身を価値ある存在だと感じますか?」
小学生の頃の自分、中学生の頃の自分、高校生の頃の自分、そして大学生の頃の自分。その時々の自分を超える生徒の教育に関われたとき。
ひっくるめれば、担当している生徒が、自分以上の力量を持った大人になってくれたとき。
「尊敬する人やロールモデルは誰ですか?その人のどんな点に惹かれますか?」
佐渡島庸平氏。世の中のあらゆる部分を観察し、問いを見つけて仮説を立てて、自他の学びに繋げ続ける姿勢。
著書の一つに書いてあった、「得た学びをコミュニティに伝播したい」という理念にすごく共感を覚える。
「自分にとって『成功』とは具体的にどんな状態や成果を指しますか?」
昨日の自分より今の自分の方が成長していると言い続けられること。成果としては、その能力を裏打ちするアイテムなり資格なり、なんでも良いと思う。
ただ、お金という面から逃げることは成功でもなんでもないので、シビアに言うなら、業績を上げ続けることも僕が思う”成長”そのものである。
「過去にモチベーションを失った経験があるとしたら、それはどんな状況でしたか?どうやって乗り越えましたか?」
新卒で入った会社を辞めたとき。いわゆる人生のモデルのようなレールから完全に外れ、職も収入も意欲も無くして初めて、「意外と変わらない」と思うに至っている。
それを乗り越えたきっかけは、今の仕事に就いたこと。自分の学びを伝えるという構図は、偶然だが自分にとって凄くやりがいのあることだと思った。
このことにのめり込んでいく内に「何も社会に貢献していないよね」という後ろめたさも消えて、そういうことをくよくよ悩むことも無くなったように感じる。
・・・ということで質問に答えきってみたが、結果見えてきたもの。それはある意味平凡ではあるが、それ自体すごく有用なものだった。
僕は、新たな学びか、何かしらの数値の伸びを得られることが、強いモチベーションになっているようなのだ。
例えば今の職場における改善できる点を探し、その対処策を考えては試し、上手くいかなくても学びのサイクルを続け、何かしらの結果・数値に繋げていく。
これ自体を「青臭い」「社畜」「フツー」という風に鼻で笑う風潮もあるが、僕はそれを無邪気に面白がれるらしい。放っておいても、だ。
そしてそれが報われた際に僕が抱く感情は、HappyというよりGlad、つまり「ほっと」する感じが大きい。これは人生の節目節目、全てを考えてみても確かにそうだ。
瞬間的に沸騰するような「やったー!」という声を、僕は上げたことがあまりない。強いて言えば釣りをしていて、大物や珍しい魚を仕留めたとき、くらいだろうか。
逆に言えば、わかりやすい幸せを感じずとも、ほっとする感覚を覚えたとき、それは僕が幸福であると認識している証明になる。面白い観点を、また得られた。
ということで、「あなたは何にモチベーションを感じる人ですか?」と今聞かれたら、僕はこう答える。
「わからないこと、できないことが、わかる、できるようになること。それによって、数値に出るような結果を残すこと」
あながち間違っていないと、やはり、思う。
では今日はこの辺で。