家に蔵書がいくつあるか、ふと考える。仕事場に何冊も持ってきているのに、それでも本棚が溢れているので、漫画を抜いても7~80冊くらいはあるんじゃないかと思う。
電子データで持っている物も含めればもうちょっと増えるが、我ながらそこそこのボリュームで読書をしてきたんだなぁと、少しばかり驚く気持ちがある。
そんな蔵書を昨日、ボーっと眺めていたとき、あることにふと気づいた。そしてその違和感は直感でもなんでもなく、マジでそうだということを知って、心底ゾッとした。
こんなにも無自覚に、僕は偏っていたなんてと、本当に恐怖すら感じる。ということで、一体何をそんなにビビっているのか。
今日はちょっと短めだが、その話を書いてみる。
著者を見て気付いたこと。
僕が気付いて怖くなったこと。それは、女性が書いた本が、その中にほとんど全く含まれていなかったことである。
僕は決してそういう思想の偏りがあるわけではないと思っていたが、恣意的に女性を避けてきたのかと疑われても無理が無いくらい、著者の男女比がバグっている。
思い出せる限りでは、2人だけだ。洋書を合わせても、3人に増えるだけ。翻訳家を入れても、そこからさらに数冊増えるだけ。
%で表せば、一桁台しか女性が書いた本が無いなんて!!あまりにも無自覚な偏りにふと気づいて、その盲点っぷりにすごく驚きと怖さを覚えた次第である。
―ではなぜ、こんなにも男女比が偏ったのだろうか。僕は基本、直感で本を選ぶことは稀で、大抵は他薦されたものを選んで買っている。
いわゆる、自分が好きな作家が好きな作家の本も好きになる、というヤツだ。もちろん自分のフィーリングで選んだものもあるが、ほとんどは人が推奨していた本だ。
それを繰り返していったら、何故か男女比が凄まじく偏った。これは自然現象なのか、はたまた何かしらのバイアスがかかったのか。
ちょっと調べてみたが、そもそも著者の男女比なんてデータは見つからないし、こんだけ男女共同が謳われた世の中で、露骨に偏るわけもない気がしている。
男性は男性の言葉を心地よいと思って、人に薦めるものなのだろうか。もしそうだとしたら、それ自体何か狭量な感じがして、苦々しい感想を持ってしまう。
気付いたならば、対局の行動をするしかないだろう。ということで今すぐにというわけではないが、女性著者の本を意識的に選び、今月は読んでみようと決めた。
余談だが、僕は頭が良い女の人と聞くと、すごく身構えてしまう。ただでさえデフォルトで男より精神年齢が高いのに、そこへ知見が備わっていたら、無敵じゃんか、と。
―しかし最近、別に紹介こそしないけど、自分と同い年で、シングルマザーで、会社を経営していて、かつモデルでもある人が、Q&Aに答えているのを見た。
ここまでスペックを兼ね備えていたら、異性だろうが嫉妬で気が狂いそうになるのが昔の僕だったが、その人の言葉や思考は、聞いていてすごく、素直に学びになった。
嫉妬なんて気持ちは全く湧いてこず、そもそもその人が僕の敵みたいなキモい思考も1㎜も立ち込めず。なんというか、すごく理性的な考え方に、とても感動を覚えた。
そのときに気付いた。僕は頭の良い女の人のことを知らなさ過ぎて、あまりにも未知だから、不安という感情を覚えてしまい、身構えてしまうのではないか、と。
となれば、その人達が紡いだ言葉を知ることは、僕にとってプラスしかない。実は知らないことに、今気付いたという感じだ。
どうでもいいが、僕は基本的に、自分より優秀な人など掃いて捨てるほどいると考えている。特に女性は、脳みそを使わせたら全員僕の数段格上だと思うほどに。
僕の仕事は、働きやすい場を作ることであり、決してふんぞり返ることではない。時機が来たらとっとと交代・引退したいとずっと言っているのも、その自覚があるからだ。
僕は良くて、中継ぎに過ぎない。せいぜい、監督が関の山だ。現場で働く選手たちには頭が上がらない。僕は邪魔をしちゃダメなのだ。
そのためには、もっとフェアに世の中を見れるようになっておく必要がある。そう思えば、自分が今まで触れてこなかった世界を知らないと、達成不可能だ。
本棚から見えた僕の課題は、思った以上に喫緊のものだった。久しぶりに何も考えず、お金だけ持って本屋に行こうかな。そう思った。
では今日はこの辺で。