ニコニコ動画がサイバー攻撃を受け、機能不全に陥って久しい。公式アプリを立ち上げる度に、「メンテナンス中のお知らせ」が表示され、どこか悲しい気持ちになる。
それはユーザーの総意らしく、大元をエンジョイできない代わりにと、有志が過去の動画を閲覧できるサービスを作っている。これがなかなかに”エモい”のだ。
僕がニコニコ動画に入り浸っていたのは、大体2006~7年頃。高校2,3年のシーズンだ。自分から突撃したというより、友人に引きずり込まれる形で、招き入れられた。
そのときはアニメを観る、某レスリング動画で笑うということもしてきたが、印象に一番残っているのは、”曲”だ。Airの「鳥の詩」という名曲も、ここで知った。
そして今の僕の脳内に繰り返しリフレインする曲がある。それは、「ひぐらしのなく頃に」の曲、「you」だ。
今日はそんなセンチメンタルな導入から、記事に繋げていきたいと思う。
「失って初めて気付いた」
「you」の歌詞は以下の通りだ。尚、僕はひぐらしのなく頃にエアプなのだが、メロディの綺麗さと、歌声の切なさがに胸を打たれ、大好きな曲の1つとなっている。
あなたは今どこで何をしていますか?
この空の続く場所にいますか?
今まで私の心を埋めていたモノ
失って初めて気付いた
こんなにも
私を支えてくれていたこと
こんなにも
笑顔をくれていたこと
失ってしまった代償は
とてつもなく大きすぎて
取り戻そうと必死に
手を伸ばしてもがくけれど
まるで風のようにすり抜けて
届きそうで届かない孤独と絶望に胸を締め付けられ
心が壊れそうになるけれど
思い出に残るあなたの笑顔が
私をいつも励ましてくれるもう一度あの頃に戻ろう
今度はきっと大丈夫
いつもそばで笑っていよう
あなたのすぐそばであなたは今どこで何をしていますか?
この空の続く場所にいますか?
いつものように笑顔でいてくれますか?
今はただそれを願い続ける・・・
特に最近刺さるのは、「失って初めて気付いた」という部分だ。僕も今、あるものを失っていることに気付いて、そして結果、ある種の喪失感に包まれている。
その”あるもの”とは、腐れ縁の友人だ。厳密には地元にも、今住んでいる場所にも、そう呼んでいい関係性の人間はいる。だが、僕の手の届くところに、居ないのだ。
それこそ思い付きで、そいつの家に転がり込んでゲームをするという間柄。とりあえずどこに行くにも、何となく声を掛ける間柄。そういう存在。いて当然の存在。
失っていることにはまるで気付いていなかったが、僕は正直10年近く、そういった存在が居ないまま過ごしていた。
敬語を使わない相手。敬語を使われない相手。タッチトークが要らない相手。気が置けない相手。そういう間柄のやつと時間を共有できるのは、年に数回となってしまった。
もちろん、人間は変わるし成長もするのだから、人間関係もそれに伴って変化するのは当然だ、という主張もある。それは判る。だが、感情の部分が納得していない。
例えば、大学生の頃は暇だったのもあり、1年で400回くらい遊んでいたヤツがいる。しかし卒業後はお互いが転勤したのもあり、気付けば連絡を取らなくなっていた。
その男と、最近6年以上振りに再会した。広島市内の地下にある焼き鳥屋で語り合ったそいつは、二十歳の頃にアホばっかしていた顔と、さほど変わってはいなかった。
ただ、そいつは今、所帯を持ち、マンションを買い、今夏には第一子が誕生する予定だという。僕はそれを素直に祝福し、ハイボールのジョッキを打ち合わせて乾杯した。
しかし、どうしても、感じてしまった。自分だけが置いていかれている感覚。また一人、腐れ縁の友人がログアウトしたような感覚。もちろん、表には出さないけどさ。
―最近、嫉妬する場面が増えた。人生の勝者に対してではない。同級生同士が楽し気に笑い合っている様子を、動画にしている方々に対して、だ。
羨ましい。僕と大体同じ時代背景のもとに生まれ、大体触れてきた娯楽も同じ、大体似たような価値観を持つ、そんな人たち。アホなことを話したい。馬鹿なことをしたい。
ニコニコ動画に入り浸っていた頃、僕の周りにはそんな面白いやつらが何人もいた。いや、居てくれた。それをほとんど失った今、感謝と同時に、喪失感を抱いている。
登下校を一緒に通っていた友人も、大学の頃にずっとつるんでいた友人も、その存在は全く当然のモノではない。本当に尊い縁なんだ。失って初めて気が付いた。
ニコニコ動画の思い出に浸っているとき、笑顔よりも寂しさが先立つ自分がいる。そんな僕を楽しませようと動画は頑張るが、僕の目には何故か薄っすら涙が溜まっている。
では今日はこの辺で。