子どもの頃の記憶は8割以上が嫌なそれなのだが、その中でも飛びぬけて苦々しいものがある。それは幼稚園の頃のお遊戯会のこと。
当時の僕は、今なら多分ADHDと即座に診断されるほど、落ち着きがなく、話も聞けないという、そんな子供だった。自分で自分を評するなら、ザ・クソガキだ。
そんな有様なので、当然、流れなど覚えられない。音楽に合わせてあっちからこっちという説明が、左耳から右耳へと抜けていく。当時の先生はさぞ苦労したことだろう。
そのまま本番を迎えたので、檀上はいわば公開処刑の舞台だ。一人だけ流れを全く覚えていないことが明白で、ただただ周りに合わせて変なことをしている僕。
文字通り、衆人環視の中で恥を晒す。それは僕が周りに、というより、僕を見に来ていた母親が周りに、と言った方が正確だ。なんか、ごめんなさい。
―そんな様子をなぜ俯瞰できるかというと、僕がそうやって冷や汗もののお遊戯(笑)をやっている一部始終を、ビデオで観させられたことがあるからだ。
いつ頃それが起きたかは、皆目見当がつかない。確かリビングでゴロゴロしていると、突如としてそれは始まったことを薄っすら記憶している。
「あんたもこんな時期があったよね~」という母親の懐かしみを帯びた声とは対照的に、僕は厨二病全開の詩をクラスの女子に見られたとき並みの戦慄を覚えてしまった。
そんな時期を経た今、僕にとって「演劇」はどんなものになっているか。今日はそんな思い出を基に、なんか書いてみる次第である。
僕のメタは僕に演技を強いる。
そのとき以来、偶然もそうだし、拒否したりもそうだが、とにかく僕は二度と「演劇」めいたことをしないまま、大人になることができている。
今もそれには全く興味がない。ただ、ナレーションはちょっとやってみたいなと思うときが、たま~にある程度だ。演劇など、お金を払ってでも拒否をするだろう。
しかし、最近ふと気が付いたことがある。それは、僕のメタは、僕の理性に働きかけて、全力で「演技をしろ」と囁きかけ続けてくる、というものだ。
しかもその役柄は、大抵は全くろくでもないものばかりだ。例えば疲労を感じるのであれば、「疲れている人」を全力で体現するよう、僕のメタは強いてくる。
背中を丸め、足は引きずるように運び、声に覇気は無く、どこか言葉選びも、申し訳なさそうなセリフを選ぶ。生産性も落とし、露骨に疲労感を演出する・・・。
「疲れているのなら、ちゃんとそういう演技をしなきゃ!」という風に。僕のメタは、そういえば、昔から僕に対してそういうところがある。最近、ひしひしと感じる。
僕の理性はあれほど「演劇」が嫌いなのに、ネガティブな自分の想いが湧くと、それを演じて体現してみようとするのだろうか。最近気付いた、自分の癖。
悪い予感がしたら、それが実現するように動く感じ、とでも言おうか。僕の世界は、いい未来は来ず、悪い未来は起きるようになっている気がしてならない。
”いいことがあったら俺のおかげ。悪いことがあったらお前のせい”という器が小さいヤツ特有のセリフがある。僕に起きていることは、これの逆だ。
”いいことがあったらそれは運。悪いことがあったらお前(≒僕)のせい”というのが脳みその奥底に刻まれていて、その通りになるよう、何かに操作されている気がしている。
僕は自分に自信が無いとよく言われる。これは多分、謙虚が度を越した結果だと自分では分析しているが、謙虚が度を越してしまう理由は、多分このメタにあるんだと思う。
メタが演じろと命じる僕の像。それに抵抗するには、意識的に僕が理性で、逆のモデルを演じるのが良いのではないか。刷り込まれた心理に立ち向かうという演技。
30年近く避け続けた「演劇」の場。今は逆に、それを打ち破って「演技」の腕を磨かないと、自分の自信は永遠に得られないし、鬱屈とした思いも消えないのではないか。
最近自分の苦手とする仕事が日々連続してくたびれてきたときに思ったのは、何故かヘンに前向きな、「演技頑張るぜ表明」だったのは意外である。
では今日はこの辺で。