精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「褒める」ってなに?「褒められる」っていいこと?

「褒める」という言葉がある。それ自体は知っている。だが白状すると、実はこの言葉が具体的にどんな言動や感情を意味するか、あまり腑に落ちていない

 

捻くれているのは承知の上で素直な感想を言うと、「褒める」とは、どこか上から目線で、主観的な意味での「良さ」を満たした人に与える評価、という感じがする。

 

自分が人を褒めるのも苦手だが、言われる方がもっと苦手だ。いつからか、僕は「褒められること」を素直にあまり喜べない性質なのである。

 

世の中に、似たことを考える人はいないのだろうか。いや、いるに決まっている。だから「褒められる 苦手」というワードで検索をする。やはり、そこそこヒットした。

 

今日はそこで知った言葉とかを組み合わせて、記事を書いてみようと思う。

 

 

褒められても、なぁ。

 

僕が見つけて共感を覚えたのは、この記事にあるエピソードだ。

note.com

 

このブログの筆者は意識的に、部署にいる後輩を褒め続けた時期があるそうだが、後々知ったその胸の内は、かなり意外なものだったという。

 

「嫁ちゃん、いつも私のことを褒めてくれるじゃないですか。私褒められるの苦手なんです。

 

自分に自信がないから褒められても、何でこの人は私のことを褒めてるんだろう、なにか裏があるのでは?と思ってしまうんです。

 

だから私のことは褒めないでいいのでダメなところがあったら注意してください。」

 

この世には褒められるのが嫌な人もいるらしい|農家の嫁

 

―という。褒められることは無条件で良いことだと信じていただけに、結構な衝撃を受けたと、その記事には添えられていた。

 

だが、このエピソードを読んで僕がいっちばん思ったのは、この後輩への共感だ。久しぶりに「わかるわぁ・・」という独り言が、ぼそっと漏れるほどに。

 

僕は、自分に自信が無い。それは自分のことを信じていないというより、無条件に自分を信じることは、とても無責任なことだと考えているためだ

 

「いけるっしょ!」という勢いで全てに臨む雑な人間は、とても恐ろしい。もちろん裏打ちできるほどの努力量があれば話は別だが、僕は僕がそうするのを肯定できない

 

自分を無条件には信じない。そうすることで、僕は細かいことも準備して臨むし、半ば強迫観念みたいな感じで、色んな勉強もするし、練習もしている。

 

例えば高校の頃は、クラスマッチでソフトボールが決まったとき、あの独特な投球フォームを河川敷で独り、1週間毎日1時間くらい練習していた記憶がある。

 

別に僕はピッチャーではないのだが、”もしかしたら”投げるかもしれない。そして元野球部だった過去があるだけに、適任と勝手に思われるのではないか。

 

そう思うと、僕の足は毎日河川敷に向いた。筋肉痛になっても投げ続けた記憶がある。まぁ蓋を開けてみれば、僕は結局サードを守っていたのだが・・・。

 

・・これはもはや病気と言えるエピソードだが、それは目線を変えれば、努力という皆が嫌うことに、強いモチベーションをもって打ち込む方法を僕は持っていることになる

 

すなわち、僕のこれまでの成功体験は、褒められたことではなく、「まだ足りないな~」という課題意識によって、積み重ねられてきたんだと思うわけで。

 

だからこそ僕は、多分広義のインポスターシンドローム罹患者でもあるんだと思うけど、別に困ってないので、それ自体を矯正する気はあまりない。

 

このめんどくさい思考は、今も直っていない。むしろ深化している。褒められることが苦手なのも、それが理由だ。

 

どれだけ仕事が上手くいっても、「でもこれは、次の成功を100%は担保しないよね」と思う。そう思えば、課題点に目が向く。100点なんて、何の成長にもならない。

 

そんなクソ真面目な僕なので、褒められると調子が狂う。僕が良くて70点くらいと思っている僕を、100点のように評されることは、違和感でしかないのだ。

 

自分が言われてしっくりこないことは、人にも言えない。そんなわけで僕が人を褒めると、それはすべて、なんか「嘘」の雰囲気が乗ってしまう。

 

―ちなみに、先のブログには、筆者のこんな分析が書かれている。

 

でもその後にも何人か褒められるのが苦手と言ってる人に出会い、全て共通してたのが今まであまり褒められてきてないということだった。


褒められてきてない人生を歩むと、褒められることに疑心暗鬼になってしまう。

 

自己肯定感なんてものはなくて、注意されないように生きるのが精一杯。それってなんて悲しいことなんだろうって思ってしまう私は残酷なのだろうか。

 

この世には褒められるのが嫌な人もいるらしい|農家の嫁

 

この点に関しては、僕も同意する。堀江貴文氏も「人を褒めるのが苦手」と著書で書いていたが、その原因を「褒められたことがないから」と分析していたほどだ。

 

では僕も、人生において、平均から大きく下回る程度にしか褒められたことがないのだろうか。多分そんなことはないのだろうが・・・うーん、思い出せない

 

誰かに褒められたいがために何かを頑張った記憶が無い。それが本音だ。何かを頑張ったときは、自分がそうしたいと思ったか、そうしないと迷惑が掛かるか、どっちかだ。

 

実際、高校入試を頑張ったのは、くそ嫌いなヤツと別の高校に行きたかったからだし、大学受験を頑張ったのは、その大学に行きたかったからだ。

 

「これを頑張ると、あの人の喜ぶ顔が浮かぶじゃん」という風にしてやる気を出せる人の意味が、実は分かっていない。それはただの機嫌じゃねぇか?と思ってしまう。

 

こういう思考をする人は、世間から見たら「寂しいヤツ」らしい。そう思われたところで、じゃあなんだという話なんだけど。

 

「褒める」「褒められる」という言葉の意味が、強い実感を伴って腹落ちする日は、いつか来るんだろうか。僕は、来ないまま死ぬ気がしている。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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