精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

人の目を見れない三十代の告白。

僕は人の目を見られない。自覚したのはいつ頃だったかややうろ覚えだが、確かアメトーークの「人見知り芸人」を観ていた際にふと、そうなんだと気付いた記憶がある。

 

「目を見てくれないねと言われて・・」みたいな悩みを吐露する芸人さん。それに対する共感の嵐。「いやお前、芸人やろ!」みたいなツッコミと爆笑。

 

そのときに僕は、「人の目を見ない方が、実は異常なのだ」と初めて学んだ。僕の中の常識は、世間に言わせれば、真逆どころかコミュ障のそれなのだ!

 

そしてその「目を見られない」という症状に、特に改善の兆し(と意識的な努力)が無いまま、僕は30歳を過ぎ、気付けばそこから数年経とうとしている。

 

そんな今。僕は、本腰を据えて、これに立ち向かおうと何故か心を固められている。なぜこの決意に至ったか、それはよくわからない。

 

試験勉強を先延ばしにし続けてきたけど、「そろそろやらんとさすがにマズいか」と急にスイッチが入ったときの感じに似ている。

 

せめて社交辞令というか、社会のマナーというか、その水準くらいは意識的に目を見られるようになろう。さすがに失礼だし、不信感を与え過ぎる。そう納得したのもある。

 

だから手に取ったのはこの本だ。目から鱗の発見が連続し、買って4日くらいで一周読み切ってしまった。だから今は二周目の再読中だ。

この本を読んでいくと、今まで記憶の引き出しの奥底に突っ込まれたままだった苦い思い出の数々が、何故かどんどんと飛び出してきた。

 

今日はそれを振り返りながら、「人の目を見れない遍歴」の苦みを、じっくり味わってみようと思う。

 

 

目を見たらキモがられるという恐怖。

 

高校生の頃、僕は当時2ちゃんねると呼ばれていたあの大型掲示板のスレまとめサイトが好きで、帰宅部だったのもあってか、そこに良く入り浸っていた。

 

印象的なスレはいくつもあるが、特に記憶に残っているのは、「イケメンとブサメンに対する、女子の反応の違い」みたいなそれだ。

 

尚、これについては面白かったというより、恐怖という感想が紐づいている。どういうスレッドだったか。雰囲気だけの再現になるが、ざっくり以下の通りだ。

 

目が合ったとき

 

イケメン➡「わ、目が合った\\\」

ブサメン➡「見てくんな、セクハラで訴えんぞ」

 

・・こういう風な露骨な態度の違いが100個近く並んでいるのがこのスレだった。もちろん、極端だし、フィクションばかりが並んでいると思う。

 

それを分かったうえで面白がるというのが趣旨なんだろうなとも、今は頭では理解している。だが当時の僕は、「そう思われてるんだ!」という強い確信を得てしまった

 

目を見ればセクハラで、横を通れば(内心)舌打ちされ、席が隣になればガッカリされる。僕はそう思われる側なんだと、自己肯定感の低さが相まって、そう納得したのだ。

 

以来僕は、存在感をなるべく消して、コミュニケーションも必要最小限のそれを相手が振ってこない限り避けて、高校生活の残りを過ごした思い出がある

 

その構えはクセは大学になっても無意識に発動していたようで、「どこか壁を感じる」という評価を、何度酒に酔った先輩・同期・後輩の女子から言われたかわからない。

 

”目を見たら不快な思いを”させる側”なんだから、そうしないのは当然だよね”という帰結は、起点が無茶苦茶だがある意味論理的で、だから疑うことはしなかった次第。

 

ぐんぴぃの「俺は何をしてもキモがられるというのがあるから、一生懸命見た目が恵まれた人が考えなくていい部分を考えている」という発言に、激しく同意する

 

―だが、そういう病的かつひねくれ過ぎた自意識も、30歳を過ぎれば自然と薄らいできている。キモがられても、何も思わなくなってきた節がある。

 

むしろキモがられたとして、「俺に何を期待してんだよ」と毒づく自分が薄っすら見える。低すぎる自尊心は、地面をどんどん掘り進み、どこかに辿り着いたようである。

 

そして、目を見ないで話すことによって、円滑なコミュニケーションを阻害したり、逆に”嫌われた”という印象を与えたりしてしまうというデメリット面を知った

 

僕の仕事はある意味で接客業だ。プロとして、ここの癖はしっかり治しておかないと、あまりにも失礼で無礼なんだなと思い至った。

 

だからここ最近、僕は意識的に目を見ようと頑張っている。それだけでなく、目を見れるようにするためのトレーニングにも、本の内容を参考に、取り組んでいる

 

特に効果があったように感じるのは、日常生活を過ごしながら、顔を真っすぐ正面に向けて、その目線の高さより上にあるものを、一つずつ言葉にするというものだ。

 

最近はそれらを、小説の情景描写みたいにディスクリプションすることに取り組んでいる。ただそれだけで、視界が大きく広がるし、顔を上げるという癖がつく。

 

「アパートの二階の窓辺に、ぬいぐるみが3体置かれている。視線を少し左に外せば、見慣れない器具がたくさん取り付けられた電柱があり、烏が数羽、羽を休めている」

 

という風に。他にも「お手玉」が効果的という話も聞いているので、いずれ道具を見つけてきて、実際にやってみようと思っている。

 

・・というわけで、30歳を過ぎた今、傷つきたくないという僕の自意識は薄れ、失礼なことをしていたという罪悪感が勝った結果、改善の努力に乗り出せている。

 

ぶっちゃけ今でも、高校生の頃に、女子の目を意識的に見なかったのは、キモがられない戦略として多分正解だったという思いはあるのだが、まぁそれは過去の話だ。

 

人の目を必要十分に見られるようになったとき、僕を取り巻く世界、僕が見る世界は、どう変わるのだろうか。ずっと斜め下を見ていたので、ただ楽しみである。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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