精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「可愛い」は禁句。

今日は同意を得るかどうか、過去イチ微妙な話をしたいと思う。皆様は自分の中で禁止にしている言葉はあるだろうか。

 

僕の場合、「わかる」と「可愛い」は、人に言わないようにしている。前者は、実はコミュニケーションを遮断する声掛けだと、最近知ったからだ。

そしてもう一つは、「可愛い」である。実は物心ついたときから何故か、僕はこの言葉を使うのがすごく苦手である。なんというか、すごく後ろめたい。

 

だが、その理由を今まで言語化しようとしてきたかというと、そういうわけでもない。だから今日は、その理由を自分で知るためにも、言葉にしてみようと思う。

 

 

「可愛い」とはどんな感情なのか?

 

さっきも書いたが、僕は昔から「可愛い」という言葉を避けている。こと女性に対しては、なんと「可愛い」と言ったことは記憶にある限り一度もない

 

例えば、クラスの中で誰が一番可愛いかという純粋だがゲスな質問をされたとき、僕は全くそれに答えられなかった。言うのが恥ずかしいとか、その前段階の理由だ。

 

何せ、誰にもそんな感想を持っていなかったからである。僕にとって、全員等しく、「可愛いと思ったことがない」という感じが正解なのだ。それは今も変わらない。

 

試しに卒業アルバムを開いたとて、どの子を見ても「可愛い」ということは多分無いと思う。そういう目線で誰かを観察したこと自体が無いわけで。

 

一体なぜ、そういう構え方に至ったのだろうか。自分でも分からないところが多すぎる。だから、自覚があるところからまず、じっくり掘り下げようと思う。

 

僕が「可愛い」という言葉を使わない理由の一つとして自覚があるのは、その発言は女性に対しては”セクハラ”と取られるかもしれないという恐れだ。

 

「可愛い」という言葉には、女子が女子に発するそれと異なり、男が吐いたらどこか下心が乗ってしまう。どこか気持ち悪さを僕は覚えるため、そもそも言わないのだろう。

 

―というところまで内省して気が付いた。僕にとって「可愛い」という言葉は、どこか恋愛的な感情とセットになっているのだ。

 

すごく堅苦しく言えば、容姿を褒めながらも遠回しに自分の好意を伝えるセリフこそ、「可愛い」ではないか、と。すると、この歪な思考に、一つ大きな仮説が立つ。

 

僕は暫定解だが、アセクシャルだという自負がある。恋心というものが、少なくともここ17~8年くらい、全く理解できない。持っているのは性嫌悪だけではないのだ。

jobrainbow.jp

 

先の例でいうなら、クラスの中で一番可愛い女子は誰かという質問は、誰に好意を持っているかと同じ意味だと言える。だから僕は、それに答えられないのである。

 

僕が「可愛い」と言う時、僕の中の解釈が原因なのだが、それはその人が好きという意味を含んで、相手に届いてしまう。

 

しかし、今は誰のことも恋慕しているわけではない。となれば、わざわざ「可愛い」という言葉に置き換えて発信する必要性は、それこそ皆無である。

 

服装がマッチしているなら「似合う」と言えばいいし、ドジを踏んで笑えることをした際は、「面白い人」と言えばいい。わざわざ「可愛い」は使わなくてもいいのだ。

 

そういえば、最近「あなたが好きだ」という言葉も嫌いなのだが、その理由はこの「可愛い」嫌いと地続きであるように思えてきた。

 

僕にとって、恋愛感情を纏った言葉には、拭えない違和感を抱いてしまうということか。1mmも思ったことがない感情を言葉にするのは、そこそこに不快らしい。

 

この傾向は、年を追うごとに明確になってきた。強いて言うなら、他の人が言う「好き」の意味合いに近いのは、僕にとっては尊敬やリスペクトかもしれない。

 

ならば自分にとってもっと適切な言葉を選んで、それを相手に伝えるだけ、という話。「可愛い」という言葉は、もう二度と意図的には使わないんじゃなかろうか。

 

この話が同意を得るかどうかは分からないが、僕としては内省を深めることができたので、十分満足だ。だからこの辺で終わりにする。

 

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村