精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「自分の時間が無い」という帰結は、とても貧しい気がしてきた。

自覚している、僕自身の地雷がある。それは他人から勝手に、僕の時間を蔑ろにされることだ。具体的には、僕の意思を問わずして、勝手に仕事を入れるあの感じである。

 

時間は有限だ。だからこそ、別のタスクを組み込むと、元々僕が組んでいた別のそれが、ガコンと押し出されて消えてしまう。こういう構図に、僕は滅茶苦茶腹が立つ。

 

短気は損気というから、こういう些細なことでイライラするのは止めようと考えていた時期もある。しかし今はむしろ、自分の大事な価値観だと認めて、大切にしている。

 

―とはいえ最近、「俺の価値観だからサ」というのを都合のいい免罪符にして、自分の器が段々小さくなってきているようにも思う

 

例えば今、僕は免許の更新を控えているのだが、それに伴い早起きが必要だと判り、結果睡眠時間が1日だけ削れることに、すごくイライラしている。

 

これ自体は僕の勝手だし、しなきゃいけないことだし、感情を乗せるだけ愚かだなぁと、自分でも思う。しかし、どうしてもイライラして仕方がない。病気か?

 

「自分の時間が無い」という帰結は、とても貧しい。そう思えてきたので、一旦自分の中のコリのようなものを把握し、可能であれば解きほぐしたいと願うこととする。

 

 

「時間」は作るモノ。

タイムイズマネーという言葉がある。「時は金なり」という日本語に訳せ、「お、拝金ですかw」という頭の悪い煽りを受けそうな言葉だとも思う。

 

実は「タイム=金」という風にシンプルに考えることで、時間というものの本質と、そして多くの人がそれによって抱いている誤解が浮き彫りになるのだという。

 

例えば僕は、自分の給料が放っておいたら1年後に倍になる・・・なんて妄想は、呑気すぎて嫌悪感さえ抱いてしまう

 

自分で一生懸命努力して、市場価値を高めながら、無駄な支出をカットして初めて、可処分所得は増えていく。甘えるなと、ケツをバチバチ叩かれるだろう。

 

だが不思議と、時間となれば逆だ。何故か今の時期を乗り越えれば、”放っておいても”空き時間が2倍・3倍に増えそうな、そういう謎の自信を確かに抱いている

 

日頃時間が無いのなら、お金を増やす努力と同じように、そもそもの量を増やすために何ができるか、無駄なそれを使わないために何をするか、それを考えるべきだ。

 

そういう泥臭い部分に蓋をして、「自分の時間が無い」という帰結で無理矢理まとめる。そして外部に不満をぶつけ、自分は特に何も変えず、何も動かない。

 

・・・・器が小さい。色んな意味で、とても貧しい。お金の使い方については一生懸命勉強するくせに、時間についてはその努力を怠っている自分。

 

一度客観視してみると、おこちゃまな自尊心を体よく言い換えて、「自分の時間を他人に使われるのは嫌だ(キリッ」と言っている痛い自分が見えてくる。

 

違う、そうじゃない。無駄な時間はお前の1日にどれくらい含まれている?睡眠は大事というけれど、8時間も9時間も寝ないと本当にダメなのか?

 

自問自答をもっと重ねて、お金と同じように勉強と運用を重ねないと、僕はこれからもずっと、時間に貧しい小物になっていくだろう。

 

自分の時間をどう守るか。具体的にどれくらいの時間があれば、自分がしたいことへ回せるのか。そもそも本心からしたいことは、なんなのか。

 

時間の使い方をシビアに問うていくことで、もっと大切なものが、もっとしっかり、手触り感を持って実感できてくるのではないかと、そんな風に思えてきた。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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