精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

改善点は「前向きな観察」で得られていく。

「仕事とは何か。」なんかプロフェッショナル感極まりない禅問答だが、僕はこれに、まだ即答することができない。

 

だが世の中には、僕と同じ年齢でも、スパッとそれに答えてのけるすごい人がいる。例えば、「出来事に対して、感情抜きにして代案を出し続けること」みたいに。

 

 

僕自身、明確な座右の銘になり得るほどの言葉は作れていないのだが、方針として性に合っているだろうというベクトルまでは目星をつけている。それは【微差力】だ。

 

常に昨日より今日、今日より明日の方が良いという状態をキープし、毎日少しずつ良い方へ、良い方へ変えていくこと。そしてそれを楽しくゲームみたいに続けること

 

要諦として結構雑だとは思っているが、いわば「どうすればもっとよくなるだろう」という問いかけを、常日頃から周囲に対し発し続けるようなものだと言える。

 

心の中の9歳児を全開にして、周りに対し興味を持ち続ける。イイと思ったことを積極的にパクる。それくらい子供じみたスタンスの方が楽しいなと、僕は実感している。

 

―すると、結構根底にありながら、実は答えるのが難しい問いに直ぐブチ当たる。それは、「そもそも改善点に気付くようにするには、どうすればいいか?」というものだ。

 

例えば、校舎の入り口に立って、ぐるっとフロアを見渡して見ても、常日頃僕はそこで仕事をしているわけなので、特に問題点はパッと見つかることの方が少ない。

 

しかし見る人が見れば、「机の上が散らかっている」「そもそもスタッフが座る位置が違う」といったエラーを、ポンポンと並べることができる。この差はどこにあるのか。

 

これに関して色々考えていたが、「これかな?」と思う手応えを得られるものをさっき発見したので、忘れる前にここへ書いておく次第である。ではいこう。

 

 

自分の行くところ全てを前向きに観察してみよう。

 

少し哲学的な話になるが、そもそも「悪い」「改善した方が良い」という気づきを得るためには、指標となるモノサシが必要だ。

 

例えば他所の塾の内装を見てみると、「あぁ、うちの校舎って汚いんだ」と思ったり、逆に「うへぇ、自習室が汚いとこんなに嫌な感想を持つんだ」と思ったりする。

 

だから盲点っちゃ盲点なのだが、まずは自分の職場ではなく、自分が立ち寄る【店】全てをしっかりと観察することが、第一歩なのではないかと思うのだ。

 

例えば、とあるオフィスに綺麗だという感想を持ったのなら、特にどこを見てそう思ったのかをディスクリプションする。それが自分の職場に移植できそうなら、そうする。

 

そしてそれをなるべく低コストで実現するためにはどうすればいいかにも、きちんと頭を使う。起点は、自分のところではなく、他の観察から始めた方が、色々良さそうだ。

 

このとき、一つ注意するべき点がある。【齋藤一人の道は開ける】でも著者が陥っていたのだが、「ここは自分の方が上だ」という観点は、意識的に捨てるべきだ。

 

それはただのアンチと同じで、他者に悪口なりマウントなりを取って悦に入っている間、実はなんにも成長が果たされていないのと同じで、時間の猛烈な無駄になる。

 

とはいえ、「自分の方が劣っている」という解釈も考え物だ。卑屈にならず、傲慢にならず、イイものをイイと認め、それを自分の校舎に当てはめていく。

 

内装、設備、理念、システム。どれでも良いのだが、積極的に他の例を観察して、自分のそれとの差を確認し、適宜カスタムすることは、すごくいい頭の体操になる

 

答えは意外と、目の前に転がっていないのかもしれない。あるいは、転がっているとしても、それを答えだと気付くためには、ある程度の経験値が要るのかもしれない。

 

ここで思い出すのがRPGゲームの序盤でたまに見つけられる、なぜかどうしても開けられない宝箱だ。そのカギは得てして、中盤以降で手に入る。この構図に似ている。

 

何をどうしたらいいかわからない。だから一旦放置して、他のことに取り組む。そうこうしている間に知見が溜まり、それを開けられる能力や資格を得ている。

 

そこでふと、その宝箱のことを思い出す。いざ開けてみると、思いもよらない宝物がそこに入っていた。当人の能力がさらに高まっていく。すごく似ている。

 

前向きな観察。しばらくはこれを意識的に発動して、僕は毎日微差力を追求していこうと思う。では今日はこの辺で。

 

 

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