精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

実用書の速読は結構いいよ、という提案。

今日は珍しく、自分が校舎で取り組んでいることについて書いてみようと思う。僕が最近常々感じているものに、国語の読解力に関するものがある。

 

いわゆる「論理的思考力が・・」といった云々以前に、人生において1冊の本を読み切る経験が、たとえ進学校の高校生であっても、正直足りないと感じるのだ。

 

確かに、日頃メインで用いるであろうSNS等では、段落構成があるような文章を目にすることの方が難しい。だから、塊で読むことが苦手になんじゃないか。

 

現代文を教えていると、そういう疑念をどうしても抱く。基本的な暗黙知ともいえる説明文の構成ひとつとっても、どこか腑に落ちていない感じがするのだ。

 

それを克服しつつ、そして共通テストを筆頭にどんどん膨大になっていく文章量を攻略するには、どうすればいいのか。

 

そんなときに知ったのが、「とにかく一気に文章を読むという経験を積ませること」だった。そしてそれを試してみると、なるほどいい影響がありそうだと感じている。

 

今日は以下、そんな話を書いていく。

 

 

「読むとはなにか」を言語化するのは今のところ難しすぎる。

 

具体的に僕が取り組ませていることは何か。それ自体はとてもシンプルだ。

 

校舎に置いてある実用書や小説を選ばせたうえで、国語の授業の冒頭に7~8分間、それをマックススピードで読み続ける時間を取るようにしているというだけだ。

 

速読というと、眼球を動かす速度のことを頭に浮かべる人がいるのだが、決してそうではない。たとえそれができても、要旨を掴めなければ、それは”遅い”のだ。

 

だから、自分が意味を拾える速度を超えないことは徹底させている。ただ文字を高速で追うことは、僕が意味する速読とは似て非なるものだからだ。

 

さて。たったこれだけなのだが、生徒の反応は結構良く、運よくその子に合った本を選べていると、勉強嫌いな子でも本当に集中して読み込む様子が見えるのだ。

 

大体1分で1~2ページというペースが現状多いものの、これは手に取る本の質などで容易に変動する。だから数を積んで、いずれはしっかりデータも集めたいと思う。

 

余談だが、普段から本を読む習慣がある子じゃないと、国語の点を取れないという都市伝説みたいな説がある。僕はこれに関して言うと、半分正解で半分違うと思う。

 

手前味噌だが、僕は高校生の頃、3年間を通じて読み切った本は5~6冊しかない。だが、現代文の点数はいつも8割くらい取れていた記憶がある。

 

かといって、人生で一度も本を真面目に読む時期が無かったと言われれば、それも違う。小中学生の頃は、1冊のオムニバス物語集を、何故か狂ったように読んでいた。

 

趣味の釣り雑誌も、コラムや論文のような内容をずっと読んでいたし、当時はゲームの攻略本も読み物として十分だったので、読書の経験は勝手に積めていたと思う。

 

それのことを素養というのなら、僕は素養の上から技術を後から会得した感じなので、たまたまだが、国語力を高める王道を歩めていたことになる。

 

そういった僕の過去を考えても、人生のどこかでガッツリと、せめて1冊の本を読み切るという体験は、やっぱり大事なのではないかと思うのだ。

 

図書室の本も僕は素晴らしいと思う。だが世界はそれだけじゃない。そういう思いもあって、僕は家に置いてある本の半分以上を、職場の本棚に並べているのだ。

 

実際、漢字検定4級レベルの語彙力を得られる中学1~2年生になると、大人向けの実用書も割と普通に読めるようになっている。

 

もちろん、文章が読めるからといって、書いてある内容自体をスッと理解できるとは一概には言えないのだが、大事なことは、あくまで経験そのものにある。

 

この取り組みは、今のところだがうまく機能しているのもあるため、しばらくは対象学年を広げて、時間の許す限り続けていきたい。

 

では、今日はこの辺で。

 

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