ここ最近興味が爆発しっぱなしの物がある。それは「言葉」だ。日本語として記録されているものをもっと知りたいと思うし、またもっと使いたいとも思う。
学生の頃も別に嫌いではなかったが、それはどちらかと言えば厨二的な理由からだ。例えば「開闢(かいびゃく)」という言葉を、意味もなく使いたかった記憶がある。
しかしそれから読書をするようになって、特に小説を読むようになると、言葉自体への興味は本当に爆発しっぱなしとなった。
夏目漱石、三島由紀夫、冲方丁・・。この言葉を使いたいからこの記述にしたという紛い物感は一切なく、伝えたいことありきでその言葉を選んでいる感じがすごく心地よい。
今日はそんな言葉への興味を、完全なる独り言だけど書いておく次第である。
偶然の出会いさえも、楽しい。
新しい言葉への出会いは大体偶然だ。例えばこうしてブログを書いていて、スペースキーを何気なく押した際、自分が全く想像していなかった変換が出てくることがある。
例を挙げるならば「瀟洒(しょうしゃ)」とか「驟雨(しゅうう)」がそうである。この言葉は一体どんな意味なのか。気になるから、調べてみる。
しょう‐しゃ〔セウ‐〕【×瀟×洒/×瀟×灑】 の解説
[形動][文][ナリ]すっきりとあか抜けしているさま。俗っぽくなくしゃれているさま。「—な身なり」「—な洋館」
[ト・タル][文][形動タリ]に同じ。
「稍肉落ちて—たる姿ではあるが」〈菊池寛・忠直卿行状記〉
しゅう‐う〔シウ‐〕【×驟雨】 の解説
急にどっと降りだして、しばらくするとやんでしまう雨。にわか雨。夕立。《季 夏》「地下鉄道—に濡れし人乗り来る/誓子」[補説]書名別項。→驟雨
並べてみると、そこまで狭い言葉ではないことがよくわかる。特に瀟洒って言葉は、その気になれば普通に使えそうだ。今でいう”オシャレ”と同じ感じなのだろう。
そうやって偶然に出会った言葉を調べて、その意味合いに感じ入っているときに、たまたまその言葉が実際に使われているのを見つけることがある。これは鳥肌ものだ。
実際こないだ【仮面の告白】を読んでいる際、「驟雨」という言葉がごく自然に使われていて、内容に関係ないところで僕は深い感動を覚えてしまった。
―ところで、最近はChatGPTを使って、自分の言葉を校閲することが増えた。通勤中か何かに喋ったものを録音し、アプリで文字起こしして、それを校正してもらうのだ。
10回くらい学習させて、指令文をいじっていくと、確かに僕が書いたもの、或いは僕の文体を意識して書いたものだなという感想を持つようになってきた。
90%は僕が書くものと同じなのだが、時に「そういう言葉選びもあるのか」と驚く、普段は使わない語彙が用いられていることもしばしばだ。
それに違和感を覚えるとかそういうのではなく、むしろ逆。こう書いた方がしっくりくるなぁと思って、生身の僕の方が修正することも、ちょこちょこ発生している。
では、そんな僕にとっての理想の書き言葉とは何か。現時点では、三島由紀夫みたいに、言葉自体の圧倒的な知識量に、僕はすごく憧れている。
漢語は多ければ多いほどいい。なぜなら、より短い文字数に、広く深い世界を宿そうとおもったら、漢字の持つイメージの力も借りなければ不可能に近いからだ。
そのためには・・と思ったところで、実は16歳の頃に受検して、落ちて以来、放置しているある資格試験の存在を思い出した。それは漢字検定2級だ。
学年考えたら2年分くらい上の級なので、無理もない結果ではあるのだが、落ちたまま放置している資格はこれぐらいなもんなので、受からないままなのも気持ちが悪い。
また、漢字自体の知識や活用を問うという内容を学習すれば、自ずと自分が持つ日本語の知識も増えてくるだろう。漢検2級を勉強する確固たる理由が、できた瞬間だ。
お盆を使って、まずは参考書を読破することから始めてみよう。その手応え次第では、10月に受検してみるのも悪くないかもな。いや、受けたい。その思いの方が強い。
また決意が固まったらここに書こうと思う。では今日はこの辺で。