今日は、「会社や組織で”求められない”人」について、どちらかと言えば自分に向けた反省や戒めという位置づけで、話したいと思う。
僕は色々な社長やリーダーが書いた本を読むのが好きなのだが、その際頻繁に出てくる【ダメな例】みたいなものがあるのに気が付いた。
それは「お金の管理ができない人、或いはお金にまつわる想像ができない人は、要らない」という厳しい言葉である。
面白いのだが、慄然とするのは雇われている側の話で、雇う側になると押しなべて「そうそう!」とヘッドバンキングのレベルで共感することでもあるという。
今日はこれを感情論抜きで紐解いて、一層自分に腹落ちさせることを目指し、記事をつらつらと書いてみようと思う。いずれ独立を目指す身でもある故に。
では以下、本題である。
世の中、お金”です”。
「お金」。この言葉は、こと嫌儲思想が多数派の日本においては、何故かイジメてもいい対象であることを表明するワード、という風に思える。
ただ、いわゆる悪いことをして金を稼ぐ悪代官みたいな話ではもちろん無くて、要するに自他の価値を無闇に下げることをしないという心掛けのことでもある。
言い換えれば、一石二鳥を常に狙うという考え方をしているかどうか、ということでもある。成果をそのままに労力を半分にするか、労力をそのままに成果を倍にするか。
仮にそうした意識がなく、効率化を嘲り、その実自分は非効率的なやり方に固執するような人は、どうだろか。
そんな人は悪影響しかないので即刻クビだと、はっきり切り捨てられていた。そしてさらに耳が痛い話なのだが、会社の中で一番金遣いが荒い人は誰だと思われるだろうか。
実は新入社員だ。上の人たちには見えているお金の動きが見えていない。自分が無意識にやっているあれこれに掛かっているコストが分かっていない。
例えば、白黒コピーでいいのにカラーコピーを取ったり、テキストで良いのに無駄にプリントを作ったりすることは、樽の底に空いた小さな穴の如く、資産を蝕む。
そういう無駄を無意識に重ね、それを指摘しても意味を理解しない、或いは「多様性だ!」なんて謎の論理を振りかざして改めない。
なるほど、別に厳しい価値観を持つ人じゃなくても、そんなヤツは邪魔にしか見えない。仮に高学歴であろうとも、それを簡単に吹き飛ばすほどの汚点に見える。
では、このことを踏まえて、僕らはどうすればいいのだろうか。これはもう、訓練しかない。一石二鳥を狙えるよう、考え方を意識的に変える必要があるだろう。
これは難しいことでもあるのだが、今の自分には無い論理体系を理解し、それに沿って思考するという方法は、実は大学受験レベルの数学の問題と構図は同じなのだ。
高校生が教科書を使ってやることを、僕らができないという方が問題だと、僕はどうしても思う。考え方は、意外と変えられるのだ。
或いは、クラウドワークスなどを使って人を雇い、自分の金を使って仕事を依頼し、成果を貰うという経験を積むのも良いかもしれない。
相手の立場になって考えろとよく言われるが、そんな思考実験をせずとも、相手の立場に実際になってみれば、それの方が経験値の質はよくなる。
意識的に、今より効率的な方法を考え続けること。時に応じて、自分がお金を使ってでも、人に仕事をしてもらう経験を積んでみること。
そんな僕ももちろん、油断すると、すぐに効率は二の次で、仮初の楽をしようとしてしまう。それが不味いことだという意識は、絶対に消してはダメだと捉えている。
その意識さえ消してしまったら、40歳になる頃には僕も社会から用済みとされて淘汰されるだろう。【仕事の辞め方】にもあったが、ソフト老害は既に始まっているのだ。
お金を嗤う人に冷笑されている状況が、実は正解。そう解釈し直すことから、僕は努力を始めてみようと思う。では今日はこの辺で。