今日は夏休みの最終日。ゆっくりと休むことを心掛けながらも、明日からの仕事が慌ただしい開始にならないよう、できる準備をコツコツと整えている。
突然だが、この記事においては、「頭がいい人とはどんな人か」について、持論を少し語ってみたいと思う。
というのも、休みの間に、僕が敵わないと思っているほど頭が良い知人たちと過ごしたのだが、そういえばなんでそう思うのかを言葉にしたことが無かったためだ。
頭が良い人にはどんな特徴があるのか。つまり、僕はどういう点を見て、その人を頭が良いと思うのかを考えてみた。
その結果、二つの条件がぱっと頭に浮かんだので、ネタもぶっちゃけ枯渇している今、とりあえずまとめてみることにする。
更新が前提となっている。
まず一つ目に浮かんだ特徴。それは、前回聞いた話をさらに深めている、あるいは全く別のことに注力しているといった風に、とにかく更新が行われているということだ。
言い換えれば、会うたびにその人が持っている知識・経験・体験談が新しいものになっているという話だ。この心構えに、僕はとても知性を感じる。
【観察力の鍛え方】にも書いてある話だが、とにかく仮説・検証・問いと立て続けに閃いて、いわば弾み車を回すような考え方ができる人は、本当に強いと思う。
最たる例は堀江貴文氏、メンタリストDaiGo氏といったところで、彼らの知識は広く、深いだけでなく、有機的に繋がり、常に更新が行われている。
やはり、常に新しいことを学び、それを実際に経験して、仮説と検証を繰り返す。こうしたサイクルを日常的に回している人には、頭の良さを感じる。
これは普遍的な事柄の気もするが、とりあえず僕はこういう思考が自動化している人を心底尊敬できる、とも書き添えておく。
ちなみに、この思考の逆を考えると、「思い出話ばかりする人」が頭に浮かんだ。正直、こういう類の人と接しても、僕は頭がいいとは思わない。
いつだって過去が最高の思い出とか、それからと今現在はどんだけ寂しくて無味な人生を送っているんだろうと、どこか憐れみを覚えてしまう。
ちゃんと話を聞ける。
もう一つは、話を”ちゃんと聞ける”という点だ。これは単なる傾聴とか、そういうことではなく、もっと曖昧な意味合いなのだけれども。
押しなべて、頭が良いと感じる人たちは、他人の話をただ聞くだけではなく、意外な疑問を挟んで、その話を深めるのがとても上手だ。
その疑問に答えられれば、それはそれでお互いの学びになる。だが、仮に答えられなくても、それはその人にとって、新しい勉強の糸口になる。
相手の話が一通り終わるタイミングを見計らい、その人の脳内で整理された情報を使って、辻褄が合わないとか、抜けている点とか、気になる点を尋ねてくる。
これは職人技に等しい芸当だと思っているのだが、これは研鑽と好奇心の賜物だと僕は感じている。だから僕もちゃんと、このスキルは磨かねばならないと意を強くした。
ちなみに、他人の話を奪って自分のものにしようとする人、「噛んだw」といった指摘で話をちょん切る人、揚げ足ばかり取ろうと構えている人を、僕は嫌っている。
そういう人にはさっさと”論破されてあげて”話を区切り、裏でこっそり頭の良い人と話を詰めるくらいがちょうどいいように思う。難儀だが、一番話は早い。
さて。こうして書き並べてみると、つまり広義でバランス感覚が優れた人を、僕は本当に頭が良いと思うのだろうと気が付いた。
使う言葉が平易かどうかといった部分もあるが、それはメインの要素ではない。もっと深いところに、知性を感じられる何かが隠れている、と。
持論もエエトコだが、せっかくそこそこの文字数になったので、このままアップしておくことにしよっと。
それでは、今日はこの辺で。