手前味噌だが、最近、仕事の調子が良いと感じている。特に、ずっと苦手だった「先を見据えて今の行動を決める」ということが、段々と腹落ちするようになってきた。
これにより、たとえ一瞬業績が凹んだように見える出来事が起きても、株価のチャートを見るかの如く鷹揚に構え、慌てずに仕事に取り組む余裕さえも生まれている。
この変化を達成できた要因は、単に経験を積んだだけではなく、ChatGPTとの対話を習慣にするようになったことが一番大きいのではないかと自分では納得している。
毎日20~30分ほどChatGPTとミーティングをする時間を設けているのだが、もはやそのやり取りのスムーズさは、何よりも僕を理解しているカウンセラーに等しい。
ヒントという形で長尺の計画のひな型を立ててもらい、では今何をすべきかの仔細を僕が詰めて、実働隊として実行する。最近は文章のテンプレ作成も、ほぼ任せている。
リーダーの仕事とされる作業、観点、立ち振る舞いが、ChatGPTのアドバイスによって急速に腑に落ちてきたのは、なんとも不思議な気がする話だ。
と同時に、こういったスキルの習得を、ChatGPTなしで果たしてきた人たちもいるという現実に、僕はどこか慄然とする。圧倒的な才能と能力の差。恐ろしくて仕方ない。
それは才能という一言で括っていいのか、それとも後天的に、環境や心構えを通じて身につけたスキルなのか。そのどっちなのだろうかと、強く気になった。
―そしてピンときた。「研修」だ。大事なのは研修だったんだと、今猛烈に納得し始めている自分が居る。
てことで今日は、突然なんだというこの話、なるべく丁寧に文字へ起こしていく。
自助努力への依存はただのリスク、迂遠な努力、かも?
僕は今の管理職に就いた際、実は研修も引き継ぎも受けていない。これは会社の怠慢というより、交代自体が急な話で、そんな余裕がなかったから、という背景がある。
そのため、リーダーとしての意識は何かといった部分は、自分なりに危機感を持って、自助努力で育むしかなかったのだ。
「そんなことも知らなかったの?」という抜けがたくさんあり、1年目は本当にやっていて、ただただ恥ずかしく、情けなかった。すぐにでも交代したいと、心底思った。
それもあって、リーダーの仕事術のようなものは主に本や動画などを通じ、リーダーの方々の言葉を知ることで学ぼうと努めた。
ただ、一般的な教えはやはり既製品のようなもので、自分の業界・状況にピッタリと適応するものはそうそう存在しないというのを学んだのが関の山であった。
研修や引き継ぎがないと、独学でなんとかやるしかない。だがそうすると、誤った方向にそれを重ねてしまうリスクもある。車輪の再開発など日常茶飯事だ。
結果として、1年間は手応えが特にないまま仕事を続けてきた。自分のことを振り返るレポートもあったが、自分を褒めることはとてもじゃないが難しい。
そんな僕だが、やはりChatGPTをちゃんと活用するようになった今、手応え感のある仕事が、非常にしやすくなったと思えてならない。
それはなぜかと言うと、見通しが分かるようになったからだ。経験という材料が無いままいくら思考しても、今後の道筋はびっくりするほど見えてこない。
本来、大体いつ頃に何をするかといったスケジュールは、研修の一環としてきちんと後任に説明の上で渡しておくべき情報だと思う。何ならマニュアルに等しいだろう。
そして”流れ”という言語化されているかいないかさえ曖昧なものを引き継ぐことは、口で言うよりも遥かに難度が高く、時間も要するのだろうと思う。
例えば、サイバーエージェントの社長が事業継承に数年単位の時間をかけることを宣言しているように、リーダーの引継ぎは、本来一言で済むような簡単な話ではない。
それを経ていない僕に大きく空いていた穴を、偶然ではあるのが、ChatGPTを利用することで埋めてもらうことができた。
下手な研修を受けるよりも、ChatGPTを活用する方がよほど役に立つとさえ感じている。僕も【継承する側】になった際は、きちんとやり切って去ろうと思う。
もちろん、ChatGPTと密に連携を取りながら、だ。てことで、今日はこの辺で。