今日は「暇な波動をどう出さないか」について考えてみたい。そもそもこの「暇な波動」という言葉自体聞きなれないものだと思うので、まず簡単に説明する。
これは僕のオリジナルなんてものじゃ決してなく、斎藤一人さんの著書によく出てくるフレーズだ。
簡単に言えば、暇そうな人やまったく活用されていない場所に漂う負の雰囲気のことである。これを放置すると、実際かなりの悪影響が出ることは必須。それくらい根深い。
以下、それに関する考察を書いていく。
「暇な波動」が生む負のオーラを許さない。
「暇な波動」が厄介なのは、それに伴う負のパワーがあまりにも強いためだ。それを理解するのにぴったりな例が、一人さんの著書でも紹介されていた。
とある繁盛していたラーメン屋が、あまりにも長い行列を作って待ってくれるお客さんを気にして、お店を改装し、一気にキャパを増やして対応したという。
すると、そのキャパを埋めるほどの新規客が来た・・ということは無く、むしろ現実はその逆で、何故か不思議とお客さんが減ってしまったそうなのだ。
これは、行列が行列を呼ぶという言葉があるように、多くの人がいることで「ここは繁盛している」と思わせる効果があったのを、自ら消してしまったからだと言える。
お客様のためを思って改装した結果、店内に空席が目立ってしまい、それによって「繁盛してないんだね」と受け取られ、ネガティブなイメージをもたらしてしまった、と。
「暇な波動」の怖さが一発で伝わるエピソードだ。もちろんこれ自体実話か否かの真偽は不明だが、十分に起こり得る話だと僕は感じている。
同じ構図の出来事は、塾の駐輪場でも起きる。例えば自転車が多く並んでいると、自動的に「生徒がたくさんいる」と思われ、集客効果が高まるように。
そしてそれは、人も同じだ。退屈そうにしている人が堂々と表に出ている場所に、お店としての魅力を感じるということがあるだろうか?
僕はよく人から、「なんで日頃からそんなに慌ただしいんだ?」と指摘される。これは僕の悪癖って部分もあるが、実は割と意識的に、行動はせわしなくしている。
その理由は先述の通りで、暇そうな人間の姿を外に見せれば見せるほど、場所としての魅力がすさまじい勢いで削れてしまうからだ。
そういう考えがあるため、人前で割と堂々と暇そうにしている人を見ると、僕は段々とイライラしてくるようになってしまった。休むこと自体は否定しないけども、だ。
業務時間内にガッポリと暇な時間ができることは、僕にとっては恐怖でしかない。面談でも授業でもなんでも、生産的なことがないのは怖くて仕方がないのだ。
「暇な波動」は場所からも人からも放出される。意識的に察知して潰していかないと、それは場所全体に充満し、そして人自体にも染み込んでしまう。
それを防ぐには、暇とは対極的な要素をたくさん取り込むしかない。思うに暇の対義語は「賑やか」だ。多忙さではなく、賑やかさで、僕は場をいっぱいにしたい。
その答えはまだ出ていないので、試行錯誤はここから多々重ねていかなければならないのだけれども。
皆さんも、折に触れて、自分の場所から「暇な波動」が出ていないかは、しっかりと確認してみることを強く推奨する。では、今日はこの辺で。