今日は、管理職としての僕のぼやきを書いてみる。何度か触れた話ではあるが、学習塾は少子高齢化の影響で生徒数自体が減り、少ない市場を奪い合う状況になっている。
だが、それを売上や経営規模が縮小する理由にはできない。そうした瞬間から何かが崩れるのは明白だ。そして僕は今、結構苦しいかじ取りをしていると思う。
のほほんと一スタッフだったときには感じられなかった責任の重さや、つけるべきケジメの大きさが徐々に見えてきた。顕在化こそしていないが、内心、圧はかなりある。
先日、校舎を閉める未来が鮮明に頭に浮かんで、眠れなくなる一幕もあった。自分の代で場が終わるという可能性があり得ることがクッキリしてきて、本当に落ち着かない。
僕の心は知らない間にかなり追い詰められていたのかもしれない。いわば、表面化する頃には重症化してしまっている癌のようなものだろうか。
ただ、最近は幾分冷静になり、この不安をどう乗り越えるか、どう見つめるべきかが、少しずつ分かるようになってきた。
そのきっかけはこれもまた偶然の産物だった。てことで以下、それについて記事をまとめていこう。
経営者や店長の不安を和らげるものは、究極、一つしかない。
結局、不安や焦りを消してくれるのは、結果だ。特に、売上や利益、顧客数増といった、お金に直結する部分で良い数字が出ると、非常に安心する。
集客がハマり、生徒が増えれば、大体の場合は自動的にお金の問題が解決へ向かう。それはすなわち、僕が抱えていた不安が軽くなることを意味する。
個人的な事柄においては、お金に振り回されるのは嫌なのだが、経営においては金に振り回されることは避けられない。その覚悟は持つべきだと、最近強く感じている。
実際、たまたまだが新規の問い合わせが2件入っただけで、僕の心はかなり救われた。俗的かもしれないが、そういうものなのだ。
実際、経営者の本を読んでいても、孤独や責任を誰にも共有できないという嘆息気味の話が多いが、その孤独の正体は割と、お金の問題に起因していることが多い。
しかしこれは、収入が寂しいと言った本当に俗的なことではなく、金が尽きれば会社が潰えるという危惧を、実感あるものとして分かち合えないという意味ではないか。
集客や成果がなければ、不安で仕方がなくなる。この感覚は、特に管理職になった今、ひりひりと本当の痛みのように、鮮明に感じるようになっている。
そんな中、無責任に見える働き方をしている人を見ると腹が立つことが増えた。経営者としての責任を感じるからこそ、このような感情が湧いてくるのだろう。
仕事に対する姿勢が甘い人を見ていると、心の中で「ここを潰したいのか?」とまで思うことがある。自分の中のストレスが、外に漏れている感じだ。
お金に対する考え方は、嫌儲という言葉もあるように、どこか普遍的で、こと日本においては嫌悪されがちなものだとされる。
それはいわば食わず嫌いのようなもので、そもそもの強い意志と持続的な意識改革が無ければ、改める契機さえつかめないだろう。
とはいえ仕事におけるお金の重要性は否定できない以上、僕はもう「稼ぐが勝ち」と割り切り、シビアに向き合うくらいで丁度いいのかもしれない。そう思い始めている。
経営において、お金に振り回されるようになった。これはある意味、今まで自分に無かった観点を得たという意味で、成長と考えてもいいだろう。
時間は掛かったが、こういう焦燥を経験した今、僕自身のメンタルが変化を完了し、すなわち管理職としての自覚がようやく芽生えてきたのかもしれない。
結論として、不安を消すためには、やはりお客さんを満足させ、売上を上げるしかない。それに尽きる。だからもっと、数字とがっぷり四つで組み合わねば。
そう誓ったある日の昼下がりであった。では今日はこの辺で。