精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「誰のために、何を提供して、自分は働いているか」という問いに答えられるだろうか。

僕は誰のために働いているのか。冷静に考えれば、就活に励んでいた頃を最後に、この根本的な問いを真面目に考えたことが無いように思う。

 

この盲点に気づいたきっかけは、これまた完全なる偶然だった。今再読中の「感情は、すぐに脳をジャックする」という本の、【感謝】の項がそれだ。

本書の後半は、著者たちが様々な感情をテーマに鼎談するという内容だったが、その最後に出てきた、「感謝とはどのような感情か」というテーマに、僕はハッとした。

 

特に、経営者は、従業員に対する感謝の気持ちを、給料を通して表現しているという話が印象的だった。僕はその話を聞いて、衝撃を受けたと言ってもいい。

 

今日はそんな話である。

 

 

「誰のために、何を提供して、自分は働いているか」

僕が忘れていた観点。それは、「今、自分に給料を支払ってくれているのは誰なのか」「会社を運営してくれているのは誰なのか」という目線だ。答えは簡単で、社長だ。

 

その人に対して、自分は貢献できているのか。社長が自分に託している期待に、自分は応えられているのだろうか。そもそもそのことを、意識できていただろうか

 

最近の僕は、その視点をすっかり忘れていたのではないか。いや、そもそも働き始めてから一度でも、その観点からモノを考えたことがあっただろうか

 

従業員として、経営者に喜ばれることを、組織のためになることを、僕は”狙って”実行していただろうか。独善的なことをして、それに一喜一憂していただけだとしたら。

 

これを思い起こすにつれて、加速度的に”恥”の意識が込み上げてきた。自分の思考・言動の的外れさが身に染みて実感できて、今更ながら頭を抱えて唸りたいくらいである。

 

僕は僕のために何かをしようとしてきた。だが、順番が真逆だ。僕は一支店の長として与えられたタスク、託された期待に答えることがどこまでも北極星であるべきなのだ。

 

経営者から見たら、僕は組織に貢献できているか。それがYESであるなら、自動的に業績も、給料も、待遇も、全てが付いてくる。演繹の方向を、多分間違えていたのだ。

 

もちろん、経営者に対して直接的かつ浅薄な「喜ぶこと」を考えると、合理的な行動は途端にゴマすりやおべっかに堕する。そういう短絡思考はやはり論外だ。

 

だから大事なのが、”お客様にとって良いこと”をも満たしているかを確認することである。組織・顧客・そして自分の全てに”良し”であれば、それは”正しい”と見ていい。

 

そんな基本的なことが、感謝をテーマに経営者が心情を語っている本を読んで、ようやく痛感するに至った。思い返しても、つくづく、情けない。

 

これまで僕は、自分なりに広報活動をはじめ、実験的な取り組みを自負して実行しているつもりだったが、実際には単なる自己満足に過ぎなかったのかもしれない

 

入塾という形でお客様を獲得しない限り、会社にとって何の利益も生まれない。むしろ、広報資料を作成する度に、時間と費用をドブに捨てているという構図にもなる。

 

だからこそ、ここで改めて、自分が会社に何を貢献できるかを見直す必要があると強く感じた。自分がやっていることは、直接的・間接的に、組織の利益になっているか

 

感情はそっちのけで、それが是なら実行・継続するべきだし、それが否なら即座に止めるべきだ。ここへきて、僕が練習してきた感情の切り離しが活きてくるかもしれない。

 

こういった気づきは偶然の産物であることが多いが、今回もそうだった。視野が広がるという表現があるが、まさにぴったりだと思う。

 

自分の感情が、会社に対して貢献すべき行動を邪魔していないかどうか。これはシビアな目線で、自問自答を続ける必要がある。反省と検証が必須なのだ。

 

とはいえ、気づきだけでは何も変わらない。これからは気づいたことを行動で示し、会社に貢献するために何をすべきか、具体的な行動に移していこうと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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