タイトルを打ち換えて気付いたが、毎日英語の長文を読むという習慣を始めて、200週経ったという。僕は1400日程度、英語に触れていることになる。
英語が苦手だった中学生の頃には、全く想像できなかった暮らしを、今の僕は送れている。成長というより、好奇心に従った賜物ではなかろうか。
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自分は言葉自体が好きである。振り返れば子供の頃からそのケはあったと思うのだが、20年以上を経て、振り返ってやっと、そこに至ったという感じだ。
そういう長き道を噛みしめながら、今週も読み進めてみよう。まぁ、大袈裟であることは認めるけれども。
- 10月21日(月) 暗号を”話す者”。
- 10月22日(火) あの事件の裏に在り。
- 10月23日(水) 実戦投入。
- 10月24日(木) 前代未聞の功績。
- 10月25日(金) アンシャントロマン。
- 10月26日(土) 歴史の闇の中に消えたメッセージ。
- 10月27日(日) 歴史の闇から蘇ったメッセージ。
10月21日(月) 暗号を”話す者”。
その奇策とは、部族の言葉だ。日本も地方によっては、その訛りの強さは同じ日本語に括れるのか怪しいほど異なっていることがある。
英語と同時に、マイノリティな言語に秀でた者。白羽の矢が立ったのは、「ナバホ族」という先住民であった。
何がどう転んで、何に活用されるかなんて、本当にわからない。稀有な例だが、大事な話ではなかろうか。
10月22日(火) あの事件の裏に在り。
ナバホ族には書き言葉という概念が無く、民族内の神話も、家族の歴史も、全ては記憶の中という状態だったそうだ。
それらを筆記し、アメリカ側として使いたい言葉に置き換えていく。ナバホ語に存在しない言葉は、イニシャルの組み合わせで表現する。
何ヵ月も費やし、ナバホ族による暗号は洗練されていき、テストも経て、いよいよ実戦投入に値するレベルにまで高まった。
そしてついに、日本の真珠湾攻撃の辺りで、ナバホ・トーカーは派遣されることとなる。
あの事件の裏には、このようなコードトーカーが居たというのはただただ意外で驚きだ。
10月23日(水) 実戦投入。
ナバホ・トーカーは投入最初期こそ現場に混乱を招いてしまったそうだが、そこから途端にその有益さを示していった。
解読不能なカオス、暗号化と複合の圧倒的な高速化。瞬く間にナバホ族はその地位を高めていったという。
とはいえ、課題が無いわけではもちろんない。軍事作戦にトラブルなく用いるには、やはり単語の数がそもそも少ない、等。
そういった課題を付け焼き刃上等で改善しつつ、情報戦がまるで虚数の世界で行われているような様相を呈する中、第二次世界大戦は深化していくのであった。
10月24日(木) 前代未聞の功績。
ナバホ・トーカーもまた、チューリングたちと同様に、功績を讃えられるのではなく、存在を秘匿される目に遭っていた。
硫黄島での作戦をアメリカにとって成功に導いたのは彼らに依るところも大きいのだが、それが公になったのは随分後の話だ。
ナバホ族の言語による暗号は、歴史上極めて珍しい偉業を添えて、記録に残されることになる。
それは、「遂に破られなかったこと」だ。彼らは最後まで目的を果たし、その役目を終えたのだ。
10月25日(金) アンシャントロマン。
ヒントが全くない文章から、込められたメッセージを読み取るという点では、暗号解読と考古学は通じる点が多い。
ただし、暗号解読より、未解読文章を紐解く方が格段に難度が高いという。それは残存量と内容の類推の可否に依存する。
戦時中に飛び交う暗号は、戦局や地理といった内容が含まれている可能性が高く、そしてその回数も頻繁だ。
しかし太古の文章となると、内容が全く不明なばかりか、そもそもその大部分が既に失われてしまっていることもままある。
そんな超難題の古代文章において、特に長年人々を魅了したものがある。それが「ヒエログリフ」だ。
漫画の遊戯王が大好きな僕にとっては、大好物待ったなしの話が始まる予感がする。ますます楽しみだ。
10月26日(土) 歴史の闇の中に消えたメッセージ。
ヒエログリフは古代エジプトの書記で用いられた文字のことだが、一見すると象形文字のように思える。
文法はあるのか、読解の規則はなんなのか、そもそも何が記録されているのか。長い時を経て、それは歴史の闇に消えた。
ヨーロッパから新たな文字が伝わると、古代エジプトのそれらは次第に使われなくなり、読み方などの知識も話者たちの死と共に絶え果ててしまったのだ。
それらを再び読み解こうという機運が高まったのは、中世の頃だ。暗号を解くよりも更に難解で奥深い碑文に、当時の人はどう立ち向かったのだろうか。
10月27日(日) 歴史の闇から蘇ったメッセージ。
象形文字の羅列。当初のヒエログリフは、そう想定されていたそうだ。メッセージではなく、ピクトグラムで物語を描いたようなものだと。
そのため、当初は絵と絵の繋がりや関係性を補うような観点や手法に則り、解読が行われた。
後にそれはある意味馬鹿げた物語に過ぎないと判明したのだが、その理由こそロゼッタストーンの発見である。
ヒエログリフなどの三言語で同一の内容が書かれた碑文の発見により、太古の時代からのメッセージが、途端に意味を帯びてくるのであった。
では今週はこの辺で。