少しだけ趣向を変えて、今日から数日にわたり、1つのテーマについて段々と考えを深めていくような記事を書いてみる。
最近、実はよく分かっていなかったある感情について、結構面白い考察ができたと思っている。それは「嫌悪感」だ。これを、新たな視点で捉え直せたのだ。
全部で何部構成になるかはわからないけど、「嫌悪感」の新たな理解に至るまでの流れを、なるべくシンプルにしつつ纏めたいと思う。
てことで以下、第一部として「嫌悪感の定義」みたいなところから始めていく。
そもそも嫌悪感ってなんだ?
嫌悪感とは、特定の対象に対して瞬時に強い嫌悪の感情を抱くというものだ。これは意外に思えるかもしれないが、実は独立した一つの基本感情だ。
通常、嫌悪感は単に「嫌なもの」として認識されがちで、それこそ恐れや怒り、苛立ちといった他の感情と混同されることが多い。僕もかつてはそうだったくらいだ。
しかし、感情の輪を見てみると、嫌悪感は独立した感情として、怒りや不安とは異なる位置にある。確かに例えば、ゴキブリを嫌悪する人は多いが、怒る人は稀有だ。
それにしても、嫌悪が一つの感情というのは、なかなか腹落ちさせるのが難しい。実際、他の7つの基本感情は割と具体も言語化も伴っているが、嫌悪感だけは別だった。
一応自分なりに色々と調べてみたつもりではあったのだが、自己観察の深さが足りないとも思っていた。だからChatGPTの力を借りて、数日かけて深掘りしていったのだ。
そして新たに気づいたことがある。それは、嫌悪感自体の働きは、怒りとも恐れとも違うという点だ。この感情が促す行動は、実はそれらと性質を異にしている。
それを述べる前に、改めて定義づけしておく。嫌悪感とは、「特定の対象に対して強い嫌悪を抱く」という感情で、瞬発的にそれから距離を取りたくなる反応が特徴的だ。
人が嫌悪を抱く対象としてメジャーなのは、例えばヘビやクモやムカデだと思うが、大抵それらへのリアクションは、押しなべて言えば”逃避”ではなかろうか。
一方、怒りや恐れは、実は相手と対峙したうえで、その行動に差があるという意味で大きな違いがある。怒りであれば攻撃になるし、恐れであれば防御となる。
怒りや恐れを抱いた相手には”対峙する”という共通点があるが、嫌悪を抱いた対象においては、人は回避を選択するものだ。
RPGゲームのコマンドを考えたらわかりやすい。「たたかう」「ぼうぎょ」を押すと、それは敵に対する一つの意思表示となる。即ち、相手からの反応を待つことになる。
だが「にげる」を選べば、成功したら戦闘自体が強制終了となる。対峙と逃避は、こうして書き並べると、全く構図が違う行動だということが浮き彫りとなる。
やはり嫌悪感は、特定の対象から物理的にも心理的にも距離を置き、関わりを避けるという行動を、思考をすっ飛ばして行うために残っている感情なのだろう。
嫌なものに対しては、すぐに目を背けたり、耳を塞いでしまったりすることが具体的な行動例として頭に浮かぶのも、なるほど示唆深く感じられる。
一旦まとめると、嫌悪感とは「思考をすっ飛ばしてとりあえず逃げる」ための感情であり、無駄な戦闘を回避するために本能的に備わっている、と僕は納得している。
これによりエネルギーの消耗を防ぎ、心身のリソースを節約する重要な役割を担っているのではないか。対峙自体が色々無駄な存在は、悲しいがいつでもどこでも、いる。
では、このような嫌悪感の働きを踏まえ、これをどのように活かしていくか。さらに、この感情を深掘りすると、一体何が見えてくるのか。
それらについては、次回の記事でさらに掘り下げたいと思う。まずは定義付けとして、「嫌悪感」を整理してみたという話だ。では今日はこの辺で。