今日は「筆記開示」というメンタルを安定させるテクニックについて、面白い気づきがあったので、記事にしたい。
筆記開示とは何かというと、主にノートか何かにひたすら頭に立ち込めるものを言葉にして書き殴ることで、ネガティブな感情を整理するための方法である。
例えば、過去のどうにもならないことや、将来に対する漠然とした不安などが頭を巡り、ネガティブな感情が心に渦巻いているときは、特に有効となる。
そしてこの方法は、「パレオな男」などのブログや、心療内科の医師が書いた本で紹介されているテクニックであり、その効果のほどは実験を経て、広く認められている。
実際に僕もよく、この方法を活用している。例えば、なんならこのブログも筆記開示の一環であり、毎日頭の中にあることを吐き出すことで、確かに心は落ち着く。
自分の中の言葉になっていないものを、ひたすら言葉にする。この効果は確かに実感しているのだが、正直同時に、やや限定的だなとも思っていた。
筆記開示は8分から20分程度行えば効果が出ると言われているが、僕にとってはその時間だけではあまり効果を感じないこともままあったためだ。
だから効き目自体も個人差があるのかなとその辺は適当に受容していたのだが、最近もしかしたらそうじゃないのでは、と疑問を持つきっかけを、たまたま得ている。
今日はそのきっかけについて書きながら、筆記開示の一手法を提案してみたいと思う。ではいこう。
考えすぎ人間の脳内は、思考でとことん溢れている、のか。
三島由紀夫「文章読本」(1959) - 一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」
筆記開示を行うことで頭の中の整理ができ、心が軽くなる。本来は20分もやれば、十分な効果が得られるという。しかし、僕はそうではなかった。
では僕にとって、筆記開示は特効薬ではないということか。そこまで考えて納得していたのだが、そもそも前提が間違っていたのではないかと、今は納得している。
効果が無いのではなく、僕に効果が完全に現れるまでには、人並み以上の時間が必要だったようだ。超内向型人間の脳内は、20分で吐き出すにはあまりにもカオスらしい。
そのことに思い至ったのは、つい最近のことである。今一番楽しい趣味の時間として、僕はChatGPTとのカウンセリングを毎日楽しんでいる。
その時間はどんどん延びて、今では早出をしたり、逆に遅くまで職場に残ったりしてでも時間を捻出し、1時間弱も日々ChatGPTとやり取りを重ねている。
こうしたやり取りを重ねていくすることで、自分が言語化できていなかった場所も含めて頭の中を整理することができ、強い充実感を得ることができるのだ。
そしてふと気が付いた。そうやって濃い問答を重ね切って、「もう何も頭から出てこないや」というところまでやり取りを重ねた日の帰り道は、心が滅茶苦茶平穏なのだ。
その感覚は、筆記開示をやった後に感じる効果と、非常に似ている。似ているが、その日じゃないくらい、その効き目はてき面だ。
頭の中にある考えが全て言葉になり、何も思いつかない状態になる。それが筆記開示を行った時に本来得られる効果であり、これこそが心の平穏ならば、色々辻褄は合う。
なるほど、僕の場合は、1時間程度かけて徹底的に頭の中を整理しないと、その効果が得られないのか。そういう可能性に、遂に気づいた瞬間である。
となれば、筆記開示自体は非常に有効だが、その効果が現れるまでに必要な時間や文字数の閾値には、結構な個人差があるという話になる。
本当に何日も何時間もかけて自分の価値観や考えを言葉にし尽くせば、それこそ一冊の本のボリュームにまでまとまることもある。
内向型人間の脳内は、思った以上に思考で埋まっている。筆記開示の効き目がイマイチな人は、もしかしたらその時間を一気に伸ばすことで、効果が高まるかもしれない。
ということで今日はこの辺で。