精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

仕事の定義がズレている人との協働は、とてもしんどい。いや、マジで。

先日、珍しく堪忍袋の緒が切れかける瞬間があった。なるべく抽象的に書くならば、僕の裏で背信行為というか、端的に言えば仕事のサボリが発覚したのだ。

 

僕は正直、単にサボっているだけならば、別にあまり苛立ちはしない。なんというか、そこまで他人に興味を抱かない。僕が無視すれば悪影響はないと考えている。

あまり褒められた話ではないが、仕事はラクであればあるほど良いという価値観の人と長いこと働いていたので、気にならなくなったのだ。

 

そんなことを書くと、最初の話と矛盾が生じる。だが実際はもっと厄介だ。そのサボりによって、色々な迷惑・問題が生じているからだ。

 

今日はまだカッカしているところなので、冷静になるためにもここから言葉を尽くしておきたいと思う。

 

 

仕事しろや!!!!

 

そもそもそのことを知ったのは、別の講師からの相談だった。作業が多くて手一杯になりかけているというボヤキを聞いたとき、僕は本当にブチ切れかけた

 

そもそも僕は、その講師のサポートをお願いするために、その時間帯には仕事を振らず、意識的に空きを確保していたからだ。

 

それなのに、そういうボヤキが出るということは、つまり全くそのサポートをしていないということになる。では何をしているのだろうか。そこまで考えるとすごく苛立つ。

 

休憩時間の延長と捉えているのか?はたまた「別に手伝わなくても回ってるじゃん、心配性だなアイツ」とでも鷹揚に構えているのか?腹の内が沸騰する感じがする。

 

感情的にブチ切れるのをギリ堪えながら、僕はその人に「こういう事情なので来週からガッツリ入ってください」と伝えた。一応OKとは言われたが、どう受け止めるか。

 

正直、信用は失墜している。言葉を選ばずに言うと、改善されるなんて期待していない。ここでふと、【大きな嘘の木の下で】で読んだ話を思い出した。

確か「他人に期待しない」ということがまとめられた章だったと記憶している。そこ自体はすごく同意・共感しながら、28~9歳当時の僕は読み進めていた。

 

ただ、「できないなら、できないでいいよ。ならできる人を連れてきて交代するから」という考えについては、僕は当時、どこかドライすぎる冷たさを覚えたと思う。

 

・・今なら思う。それも正しいよな、と。改善してくれるだろう、適性や価値観自体を変えてでも合わせてくれるだろう、成長してくれるだろう・・という期待の方が愚かだ。

 

例えば僕は、どれだけ努力を重ねても、物静かと評されるこの性格は変えられないと思っている。仮にそんな僕にコメディアンを目指せという人がいたら、どうかしている

 

そんな無駄な努力を強いられるくらいなら、知人の中で一番のエンターテイナーを選りすぐり、その人に紹介することで解決を図るだろう。自然とそう思った。

 

正直これが、僕にとって年下の社員だったり、或いはアルバイトだったりすれば、話はとても楽だった。僕が起用しなければいいだけだからだ。

 

しかし構図として厄介なのは、その人が僕以上のベテランであるという点だ。そして講師の売り物たる指導は、確かに素晴らしいとも思っている。

 

その人にとっての【塾講師】は、如何に上手い授業をするか、生徒の支持を勝ち取るか、という点に芯があるのかもしれない。

 

しかし僕のとっての【塾講師】は、授業は手段の一つであり、校舎を繁栄させて利益を出せる人、という意味合いに更新されている。これはもう戻せない。

 

仕事の定義がズレた状態で無理にお互いが型に嵌ろうとするのは、すごく非生産的だ。比較優位論を参考に、どうすればお互いの幸福度が最大になるか、今後も探りたい。

 

なんとか頭が冷えて、とりあえず健全なところに着地できてほっとしている。では今日はこの辺で。

 

 

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