いきなり謎の話だが、僕は「あなたの理想を考えたとき、その到達のため、どんな人と一緒に働きたいか」という質問に答えられないということが、最近分かってきた。
というより根はもっと深く、なんなら「一緒に働きたい人」の像を考える能力というのは、生まれた時点に天上界か何かに忘れてきたのかなと思うほど、ピンとこない。
たとえとして正しいのかはわからないが、ストレートな人に「キュンとする男性の見た目」を問う感じに似ている。僕はそう納得している。
どんな人と働きたいか。考えても考えても、それに”僕自身が”深く納得するような、嘘を言っていないと心の底から思えるような、そんな答えが出てこない。
今日はそういう悶々とした思いを、特に枝葉末節切り捨てることなく、ただただ書き並べて何かわかることは無いかと見つめてみる、そんなブログである。
一緒に頑張ろうという思いは何故か無い。地位へのしがみつきは、もっと無い。
まず思った仮説は、「協力体制を築くことで、僕は無意識に自分の地位や裁量が制限されることを恐れているのではないか?」というみみっちいものだ。
正直、僕はそもそも今のポジション、役職を「中継ぎ」という認識で捉えており、いわば一定期間後のサクセッションが前提という意味で、そういう欲は無い。
むしろ後継者になり得る人が登場してくれたら、僕は一層仕事にハリが出るように思う。その人に良い形で繋ぐため、どう身を引くかを、僕はしっかりと考えるだろう。
ここでふと気が付いた。一緒に頑張るということは、いわば独立した裁量を持ち合い、そして責任さえも折半するという間柄を築くということになる。
僕は”そこ”が嫌だと思っている。もとい、責任のようなめんどくさい部分は全部引き受けるから、その分実際のパフォーマンスで還元してほしいというのが本音だ。
これは選手と監督の関係性に近い。監督は”偉い”のではなく、チームの勝利という責任を最も重く追っている存在だ。だからゲームを指揮し、試合を作っていく。
僕はこういう観点をもって仕事をしたいと、強く思っている。采配と言えば大袈裟だが、僕はそれに結構気を遣って、これまで人選等を行ってきたつもりだ。
そういった「オブザーバー」としての仕事は僕が負いたい。これは自分としても、納得感が強い言葉だ。では僕のこの理想を踏まえれば、協力関係はどうなるか。
ここで先程の話に戻る。僕への忖度、僕の仕事のサポート、そういうのは要らない。選手として、この仕事で言うなら「講師」として、指導を生徒に届けてほしい。
講師として、僕より優れた才能と滾るような情熱を持っている人は、この組織の中にも山ほどいる。僕はそういった人が生き生きと働ける環境を創りたいと思うのだ。
となれば、「一緒に働く」という言葉の意味合いが、僕と一般的なそれとで幾分か違ってくる、というのが浮き彫りになってくる。
世間でいうそれは、分担を指すだろう。僕が言うそれは、各々が果たす責任を全うすることである。選手が監督の真似ごとをしても、正直その配慮は邪魔なだけである。
強いて言うなら、選手を代表するキャプテンのような存在がいれば、仕事をするうえで色々いい影響があるかなとは思った。ただその具体は、思索が追い付いていない。
「どんな人と働きたいか」という質問がこれほど難しいとは思わなかった。答えはやっぱり出てこないけど、向き合うと宝が隠れていそうなテーマではある。
では今日はこの辺で。