経営者目線とは何か。これは考えても考えてもなかなかに謎な言葉であり、一従業員である状態では、そもそも身に着けることなど不可能ではないかと思わされる。
僕は一応一つの視点を預かる身なのだが、その責務を負う者として、この経営者としての視点が徐々に身についているのかどうか、かなり気にはしている。

ただ最近は、まだ救いがあるというか、曲がりなりにも多少は経営者らしい目線を得られつつあるのではないかと、そうほんのり実感できる機会が増えつつある。
ただの従業員だった頃には気づけなかったことや、そのときに感じていた誤解が、少しずつ明らかになってきたのだ。
その結果、身の振り方を改めて考え直すことが日々できている。自分の働き方や価値観が、上手く更新できつつあるのだ。
今日はその途上もいいところだが、一旦棚卸で書き殴っておく。
立場が人を変えるのだろう。

コンプライアンスに抵触するような専門用語は避けるが、最近一番認識が変わった、ある授業形態に関して話をしてみる。
塾で提供するコンテンツの中には、当然利益率が高いものと低いものが存在する。ただ前者はどちらかと言えば、感覚的に自分には合わないと感じる場合もしばしばだ。
面倒見の観点から考えればサービスが希薄化する感じがあり、できればそうした形式は採用したくないという思いが長い間あったが、最近何故か急に腹落ちしたことがある。
それはシンプルに考えれば、授業1回あたりの時間は変わらないし、生徒数が増えても手間が何倍も増えるかと言われれば、それもまた違うという当たり前の気づきだ。
すなわち、利益率を追っていけば、その稼ぎが2倍・3倍になっていく。なるほど、この点は非常に魅力的で、これくらいタフに時間を活用しないとマジで無意味なのだ。
面倒見という言葉を適当に振りかざしていた頃の自分が本当に愚かだと思う。そりゃ売り上げも変わんねぇよ、と。ただのプレイヤーとしての正義は、本当に邪魔なだけだ。
それに気付いて以来、自分が提供している授業をなるべく必死で調整し、利益率が高い形に都度持っていき、時間というリソースを最大限活用できるようにしている。
逆に、それまで純粋にやり応えを感じていた授業に対しても、時折非効率に感じることも増えてきた。教える楽しさは確かにあるが、時間の使い方としてはどうか、と。
現在は、個別授業のような1:1の授業は、いわばフロントエンドの商品として割り切っている。その代わり、バックエンドに該当する授業も意識的に増やすのだ。
そしてここからが面白いのだが、1:多の配分を増やすことについて、それに抵抗感を示す人がいると、その姿勢にイライラすることが増えてきたのだ。
かつての自分もそうだったのに、だ。どの面下げてと言いたいが、これは成長したことの証だとも捉えられる。僕はそう受け止めることとしたい。
さて。経営者としての視点というのは、かつての僕には受け入れがたい言葉だったが、今は結局、立場が人を作るんだなと、そういうのを実感している。
視野が広がり、授業をしているだけでは得られない達成感ややりがいがある。衝突することもあるが、それもまた成長の一環だと受け止めている。
実を言うと、2~3年前のこの時期は、色々あって結構「辞職」寸前まで思い詰めていた。今は流石に、その時と比べたら幾分健全な状況にあると感じている。
立場が変えた僕。これはきちんと大切にして、今後も新しい方法を模索し、より良い形で運営を進めていきたいと考えている。
今日は頭が整理しきれず集中できない部分もあったが、考えていることを一通り言葉にできたので、これでオシマイとする。