周囲の人を敵にしない「優しさ」。最近、このことをよく考える。僕が今習得したいと渇望しているスルースキル等も、つまりここに繋がると気付いたからだ。
僕は以前、子ども嫌いだとよく言っていた。正直、今でも子どもが好きというわけではないのだが、あの頃のように露骨に敵意を示すことは流石になくなってきた。
その理由は、自分がスルースキルに習熟してきたからではないかと、今は納得している。元々自分の心を平穏にしたいがためのスキルだが、こんな恩恵があったとは。
そしてこの能力を更に磨いていくことで、”自分一人の”心の平穏という世界を超えて、僕の周りの環境にさえも良い影響を及ぼせるのではないか。
今日はそんな謎にポジティブなお話をしていく。
イラつかないことで守れる世界。
例えば、突然の大きな声や音、そしてこちらの状況お構いなくちょっかいを出してきて、僕の仕事の手を止めさせることには、正直今でも不快感を覚える。
ただ、実際にその行動が起きていなくても、「どうせやるだろう」という先入観で苛立つことは、最近無くなってきたと思う。以前はそうだったのに、だ。
こういった風に、未来にどうせ面倒が起こるという謎の想定でイライラするのは、あまりにも不毛だとようやく心の底から納得できたのが、ある意味成長っちゃ成長だ。
なぜそこに至れたか。これは単純に、自分の意識に対してさえも、どこか俯瞰できるようになったからではないかと思っている。
ではその視点はどうして得られたかというと、自分が興味を持って調べてきた仏教哲学や、マインドフルネスの賜物だ。まだまだ似非だが、実践自体は繰り返し続けている。
と同時に、あらゆることを真面目に受け止め過ぎない、いわばスルーする力も身につきつつある。これは単純に年を取ったからできるようになったのだと思うけど。
たとえば、子どもが話しかけてきた際、「これは切実な悩み相談とかじゃなく、ただ喋りたいだけだな」と思ったら、以後話半分に耳を傾けるようにしている。
或いはそもそも、重要な仕事はそういう声が届きにくい時間帯に行う等、時空間を隔てる工夫を、イラつくより先にまずするようになった。
こんな風に、まずは自分の側で取り組める改善点に気づき、それを試すことで、露骨にイライラする場面が減ったというのが、今の到達点だ。
・・・こんな狭量であることを白状したに過ぎないエピソードを通じて伝えたいのは、周囲に敵意を抱く原因の多くは、所詮自分の認識の問題であるということだ。
相手も自分と同じ、ただのヒトだ。そのヒトの言動にどんな意味を乗せるかは、主観による働きに他ならない。そしてその意味は、個人差が大きく存在する。
だからこそ、相手を変えようとする前に、スルースキルを高めて些末なことを無視できるようにする努力は、自分の身を守りつつ、結果として相手も守るものだと思うのだ。
僕が仏教哲学やマインドフルネスに関心を寄せる理由もそこにある。そもそも嫌いにならないためには、感情を鈍感にする力が重要だと考えているからだ。
自分にとってストレスが些細なものになれば、相手を嫌う理由も自然と消える。それが、周囲に敵を増やさず、平和を保つ秘訣だと感じる。
僕にとって世界は、スルースキルを磨けば磨くほど、とても穏やかなものとして映るようになった。とはいえ、自分が既に到達した側なんて、口が裂けても言えやしない。
まだまだ意識的に実践していく必要も、鍛え上げていく必要もある。だからこそ、こんなところで慢心せず、あくまでも通過点として、この思考を続けていきたい。
平たく言えば、スルースキルを高めてストレス耐性を強化することで、実は周囲に敵のいない平和な環境が生まれるよねという、そんな話である。
では今日はこの辺で。