よく考えれば時計というのは不思議だ。僕らは10時の5時間後は3時だと知っている。だがなぜそれは、15時ではないのだろうか。
僕はろくに習ったことは無いのだが、合同式という考え方がある。詳しくは知らないが、ここではその”余り”に着目するそうだ。実はこれも、暗号に深く絡んでいる。
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元々は【素数の音楽】で知った概念なのだが、掘り下げれば掘り下げるほど、ガウスが注目していたとかなんとかで、”数学”がそこに関係を持っているのが見えてきたのだ。
そして今、暗号解読の重要な部分も、僕がかつて読んできた知識にどんどん繋がっているのを感じている。この果てに何があるのか、ただひたすらに楽しみだ。
ということで今週も早速、暗号の話に入っていこう。
- 11月25日(月) 時計算。
- 11月26日(火) 時計算がもたらすカオス。
- 11月27日(水) 新暗号の産声。
- 11月28日(木) 求む、理論を形にする者。
- 11月29日(金) 公開鍵方式。
- 11月30日(土) 最後のピースを見つけるのは誰だ?
- 12月1日(日) RSA。
11月25日(月) 時計算。
ディフィーとヘルマンが探し求めたのは、不可逆な性質を持った演算だ。簡単に言えば、解を出すのは簡単だが、問いをそこから導くのが困難なものを指す。
例えば足し算は、答えを出すのは簡単で、そこから問題を導くのもさして苦労はしない。5+5は10だが、正の整数に限れば足して10になる組み合わせはたかが知れている。
しかし、赤と白のペンキを混ぜてピンクを作った際、それを分離して再び赤と白に戻すことは不可能だ。この性質を持った演算があれば、それは暗号に転じれる、と。
そこで注目されたのが、時計算という奴だ。もっと言えばガウスの算術を用いるそうだが、あまりにも難しいので僕に深追いはできない。
こういった頑張れば小学生でも理解できる概念を活用することで、ディフィーとヘルマンは何を起こそうとしたのだろうか。やはりこの本の続きはひたすらに楽しみである。
11月26日(火) 時計算がもたらすカオス。
時計算術とは、余りに着目する計算式となる。この場合、7を3で割った答えは【1】となる。そしてこの割る数を変えることで、計算式はどんどんカオス味を増していく。
故に、余りの数をお互いに取り決めておけば、答えを作るのは簡単だが、問題をそこから引き出すのは超困難な数式が誕生することとなる。
これこそ、ディフィーとヘルマンが探し求めた、不可逆な演算式なのだ。そしてこれに関する論文を、ヘルマンは1時間半かけて、驚異の集中力で書き上げたそうだ。
これにて暗号は無事堅牢さを得られた。めでたし、めでたし・・なのだろうか?僕はそうは思えないのだが、この後の展開はさて如何に。
11月27日(水) 新暗号の産声。
ヘルマンの暗号は僕には難しすぎるものだったが、送信者と受信者の間で取り決めをし、それぞれが鍵を掛けあう、という雰囲気だというのは解った。
暗号自体が傍受されても、それをした人には、それがどういったアルゴリズムが用いられて作成されたかは分かりえない。
傍受はされる。それを防ぐのではなく、されても問題ない程の堅牢さを暗号に持たせる。それこそが、ディフィーとヘルマンが創り上げた新たな暗号であった。
純粋数学とされた考え方がここへきて活かされるとは、あの世に居るガウスも驚いたことではないかと思う。或いは、眉を顰めたかもしれない。それはもう知り得ないけど。
11月28日(木) 求む、理論を形にする者。
https://www.youtube.com/watch?v=j3vvxBhlRfg
ディフィーとヘルマンが構築した理論は、まさに”理論上”待望の鍵であった。しかしまだ問題は存在する。例えば、鍵の取り決めは同時に行われなければならないことだ。
インターネットの登場による一番の恩恵は、空間的制約を飛び越えてのコミュニケーションを可能にしたことだ。言い換えれば、非同期コミュニケーションの実現となる。
しかしディフィーとヘルマンが発明した方法は、例えば電話などを用いて、お互いに事前に鍵を取り決める必要があった。これはただ、恩恵を殺すだけになってしまう。
非同期性コミュニケーションを達成しながら、共通の鍵をどう取り決めてシェアするか。偉大な前進の先にもまた、難題がぬたりと潜んでいるのであった。
11月29日(金) 公開鍵方式。
難問に取り組む数学者あるあるのようにも思えるが、ご多分に漏れずディフィーも精神的にヤバいところまで行ったことも、そしてそれを支える存在も、あったそうだ。
あらゆるニーズを満たす鍵は存在するのか?あるとしたらそれはどんなものなのか?答えがあるのかないのかわからない難問に取り組み続けると、精神は嫌でも疲弊する。
そうやって追い詰められに追い詰められた際、ディフィーにアイデアがふっと閃いたのは、下の階へコーラを取りに行った際だったそうだ。
世界をも変え得る素晴らしいアイデアは、意外と弛緩した時間に訪れる。ワイルズのときもそうだったが、これは何と示唆深いエピソードかと思わされる。
11月30日(土) 最後のピースを見つけるのは誰だ?
ディフィーとヘルマンの理論は、論文内では問題なく作用することが分かった。聴講者も読者も、その点には同意していたという。
問題は、その理論に耐えうるほどの鍵が見つからなかったことだ。答えさえ知っていれば解くのが簡単だが、答えを知らないものが解くことは不可能な鍵とは何か。
意味不明なことを言っているようにしか聞こえない条件を満たす”もの”を血眼になって探す研究者が数多現れたが、決定打そのものはなかなか現れなかった。
数ヶ月もの期間を経て諦めムードが立ち込めた頃、その答えを引っ提げて登場したのは、ディフィーたちが暮らす場所とはまた大きく隔てた地域の研究者たちなのだった。
12月1日(日) RSA。
ディフィーとヘルマンの論文は大きく距離を隔てて、とある研究所に届いていた。それを読んだ一人は、「無茶だ、わはは」的な感じで一笑に付したそうだ。
だが、偶然そのときその研究室を訪れた者は違った。その研究に興味を示し、気付けばもう1人加えた3人でチームを結成し、その理論を実践に変えようと戦い始めたのだ。
内2人はコンピュータサイエンスに秀でており、あらゆるアイデアを矢継ぎ早に提示した。もう1人は数学者であり、そのアイデアを矢継ぎ早に崩していった。
こうしたアイデア同士の(いい意味での)衝突は1年以上続き、そのブレイクスルーもまた、そうした日常となった問答の中で生まれるのであった。
では今週はこの辺で。