今日は少し手前味噌になるが、僕にとって一番愛しく、同時に一番面倒だと感じる性格の部分について記事を書こうと思う。
正直、それについて強く意識するようになった時期については、明確な現体験の記憶がない。それを前提として、以下書いていく所存だ。
というのも僕は、義理や人情、貸し借りについて、我ながらその勘定に厳しい気がしている。そのベクトルは想像に難くないが、特に自分に対して強く向いている。
実際、僕の中で不義理なことをしてしまったと感じると、たとえ時間がかかっても、それを解消しようと努める。口約束だろうと、予定を確認して実行しようとする。
いわば、意地でも自分の中のしこりを取り除こうとするのだ。そしてそれは他人に対しても同じで、約束を反故にされると、たとえ軽い口頭のそれでも、僕は覚えてしまう。
僕の器の小ささに繋がっている気がするが、そうなので仕方がない。昔貸して、結局返してもらえなかった500円といった記憶も、実はずっと覚えている。
―今日はここから、そんな感じの謎のことを、つらつらと書き連ねていこう。
罪滅ぼしのために生きているかの如く。
僕は、こと貸し借りの関係性においては、貸しの圧倒的に多い人生を送りたいと思っている。借りっぱなしでいるのは、やはり気持ち悪く感じるからだ。
これは親子の関係のように、どうしても借りの方が多くなる場合についても同様で、元気なうちに少しでもできることを返していこうとは常々考えているくらいだ。
そして、自分が何かをしたからといって、その対価を求めることはしない。実際、誰に何を貸したかは、一部の例外を除き、忘れることの方が多い。それが僕の性格だ。
もちろん、こうした性格を手放しで賞賛できるかというとそうではなく、この性分を面倒だと感じることも往々にして、ある。
僕の中でトラウマになっている記憶に、亡くなった祖父に対して強く感じている申し訳なさ、というのがある。
僕は8歳の頃に父方の祖父を亡くしたのだが、結果として最期のチャンスであったお見舞いに行かなかった、ということがある。
その理由は、正直死にゆく祖父の弱り切った、そして深刻な状況を目の当たりにするのが、この上なく怖かったからだ。だが以来、それに対し、罪悪感を抱え続けている。
いくら幼かったとはいえ、僕は何て取り返しのつかない不義理をしてしまったのだろうか。この罪悪感は、30歳を過ぎた頃からどんどん強くなり、そして今に至っている。
僕はちゃんと、墓前でそのことを謝りたい。今のところの結論はここだ。(今まで謝っていなかったのか、ということにも我ながら驚きを覚えるが)
なんなら、僕は久しく母方の祖父の墓参りにも行っていない。ならばと、どこかで一日かけて、両祖父を偲び、そして不義理を詫びる時間を取ろうと、最近思い始めている。
・・・こうした性格は、仕事にも影響している。例えば昨日、僕は言ってしまえば疎遠になりかけていた大学時代の部活の集まりに、久しぶりに顔を出した。
知人がほぼ居ないパーティーに顔を出した理由も、前の機会に自分を気にかけてくれたOBの人と、会話する機会を作れなかったことへ、強い負い目があったからだ。
そのため、休日出勤が必須となるような調整してでも参加することを決めたのだ。そしてその目的は無事果たせて、結果今はとても心穏やかである。
僕の哲学において、人生の節目節目で区切りをきちんとつけながら生きていくことは、どうやら僕にとって大きなテーマとなっているらしい。
他人から見れば些細なことでも、僕にとっては重要なこともあり、それをおざなりにするのは看過できないのだ。
この性格は僕の愛しい部分であるには違いないが、同時に裏を返すと最もめんどくさい部分でもある。
だが、これはアクセサリーみたいに気軽に外せるものではない。だから僕は、この性格を大切にしながら、これからも筋道を通した人生でありたいと改めて思えている。
では今日はこの辺で。