僕は今33歳なのだが、職業柄顧客も一緒に働く人も、年齢が干支1周以上離れていることが多い。だから自然と、僕は相対的に”おじさん”となる。
それゆえ最近、自分の身の振り方について、結構自意識過剰というか、ちょっとぎこちない程の批判的目線を向けている。それくらい、昨今のおじさんへの風当たりは強い。

勿論、おじさん自体への風当たりが強くなったというよりも、イタいおじさんの事例(と被害)が、これまで以上に可視化されるようになっただけではないかと感じている。
勿論「おじさん」であればイコール「蔑称」というわけではなく、世の中には「カッコイイ」「器が大きい」といった評価で尊敬されているおじさんも大勢いる。
僕が知りたいのは、イタいおじさんとそうでないものを分かつものは何かであり、かつそれを通じて、”イタい”という感情の解像度を高めることが狙いである。
するとそれにドンピシャの内容の記事を発見し、思わずメモを取りながら、食い入るように読みふけってしまった。
今日はそこで「なるほど!」と感じたことを、僕の感想を添交えて、サクっと紹介してみようと思う。
おじさんかどうかじゃなくて、痛々しいかどうか、だ。
一読して思った「イタいおじさん」の特徴だが、正直言うとその人がおじさんかどうかは二の次で、言動が痛々しいかどうかが全てという感じがした。
例えば「イタいおじ」は、若者と張り合おうとするとか、競い合おうとするといった特徴があると読んだ。これ自体、僕が読んでも、か~なりイタい。
若者のグループに混ざり、若者文化の曲をカラオケで熱唱し、若者がちやほやされていたら本気で嫉妬する。なんというか、寒気がする。
また、基本的に無知なのに若者文化の触りだけは予習したり、或いは自分の趣味の分野だけ異常な造詣の深さを持ち、それを若者に披歴するというのもあった。すごく痛い。
正直若者側(特に20代半ば)は、オジサン側が積極的に関わってくることを全く良しと思わないらしい。これは実は、自分事としてもそう思う。
僕が大学生の頃、10個以上年長の先輩がカラオケで全力で踊り、盛り上げる様子を見たのだが、悪意こそ感じなかったものの、どこか引いてしまった自分を覚えている。
―そして上記の記事の中で、特に一番得心した指摘は以下のものだ。
「あなたに向けて言ってない」ことを、全部自分が言われたように捉えるんですよね。メンヘラに近いんですよ。痛いおじさんって。
これは「うわー、超イタい・・!」と、心臓の辺りを押さえながら思ってしまった。自分がおじではないとを強く否定するとか、おばさんをあげつらって話を逸らすとか・・
すごく具体例が頭にパッと浮かぶからこそ、このイタさが強く想起され、シンプルに僕はダメージを負ってしまった。
こう括るのも乱暴だと思うが、つまり全くモテない男の特徴を全て兼ね備えたまま年を食って中年になってしまった男性が、おじと呼ばれて嘲笑されている気がする。
若い頃は単に異性から総スカンされて終わりだが、年を食うと若者全体から総スカンを食らうということか。
そう思うと、この身の振り方は絶対してはならないと、改めて気が引き締まる。では、そのためにはどうしたらいいのか、この記事から答えを知りたいと思った。
するとその答えはすごくシンプルだった。煎じ詰めれば自己肯定と俯瞰。これだけだった。おじさんになる自分を認め、公言し、行動する。そんな風に結ばれる。
おじ自認の先は、自分はおじさんである、ということをみんなに共有していく。
自分はおじさんだと認める「自認」、次にそれをまわりに伝える「公言」。最後に、おじさんとして適切な「行動」。
たとえば飲み会に行っても、会計を払って先に帰るとか。行動に移せるようになったらいいおじさんだと思います。
おじさんの大きな3ステップは「自認」、「公言」、「行動」。これじゃないですか。
・・・なるほど。痛々しいおじさんは、全員どこか子供じみている。これは悪い意味で、だ。いい意味で可愛げがあるのではなく、精神年齢が低く、構ってちゃんが多い。
俯瞰できていないから、例えば求められていないアニメや漫画、車などの話を平気でマシンガンの如くしちゃうし、必要のない説教や助言も繰り返してしまう。
自分が率先して混ざっても煙たがれないと思い込んでいるから、若者グループに混ざって武勇伝を語ってしまう。あぁ、蕁麻疹が出そうだ。
どちらかと言えば、同年代の人ときちんと関係性を構築できている”おじ”の方が、若者側からは評価が高いというか、とりあえず好印象を持たれるという。
そこで構ってもらえない、或いは自分にとって耳触りのいい意見が貰えなかったから、なし崩し的に若者グループに来たんだろう・・と思われるそうだ。うぅむ、怖すぎる。
だがここまでくると、納得感がすごく強い。つまり他人から承認されたい、ちやほやされたい、上に立ちたい、そういう願望が捨てられない人達・・。
自分がそうなったら終わりだと思う。だからこそ、痛々しいという感想を自分が持つことを、むしろ僕は大事にしたい。嫌悪しておけば、自分はそうはなりにくいからだ。
余談だが、眉毛を整えるとか、美容に気を遣うといった投資は若者から見てもポイントが高いという。―というより、それら全てをサボるとはつまり不潔そのものだ。
おじさんとかなんだとかは関係ない。即ち、マナーとしての気遣いが一切できない人の内、一定の年齢を食った男性を”おじ”と呼ぶだけなんだと、やっぱり帰結した。
今後も無理せず、いい意味で若者と距離を詰めようとせず、居心地がいいコミュニティに身を置きたいなと、そんなところが今回の結論だと感じている。
では今日はこの辺で。