精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

今冬は”自分”というカードを最後まで切らないというのが目標。

今日は謎の決意表明を書く。人から指摘されることも多く、また僕自身としても今年猛省しているのが「自分を使いすぎたこと」だ。要は、人に頼らなさすぎたのである。

 

具体的には、休みをほとんど取っていない。定められた休日数など無視して仕事をしていた。いわば風呂キャンセル族が風呂に入る頻度で休みを取っていたと思ってほしい。

 

思い返せば、お盆やゴールデンウィークはちゃんと取ったものの、それ以外に仕事が完全にない日、いわゆる「休み」は月に2~3回程度しか取ってないと思う。

 

先に念押ししておくと、これは会社から強制されたわけではもちろんなく、ただ単に僕にとっての休みの価値が低すぎるということが問題だと思っている。

 

例えばオフの日に雨が降る予報だと、釣りにもキャンプにも行けないんだったら、休みを取ってもしょうがないという思いが勝ち、個別授業の振替を優先的に組んでしまう

 

そんなセルフブラック労働の果て、完全なオフなど週に1日取れれば超ラッキーだし、その日に研修やイレギュラーな授業が入ると、簡単に連勤が続いてしまう。

 

白状する。今週末で一区切りつくが、実は今、約1ヶ月連勤の途中だ。もちろん、1日に授業が2つしかない日とかも挟みつつなので、半日休は挟んでいるが・・。

 

それでもやはり、良い状態とは言えない。今の働き方をしても僕はまだ平気ではあるが、むしろこの働き方のせいで、業績や仕事の質に頭打ちを感じる部分も増えた

 

てことで導入が長くなったが、以下が僕の今冬の誓いである。

 

 

本当に自分がしなければいけないこと以外しない。

 

社内体制を見ると、確かにそこにおいては僕にしかできない仕事ってのは存在する。それが僕に集中するからこそ、他者より時間の確保・捻出が難しいという面もある。

 

しかし、問題はもっとシンプルだ。僕がやらなくてもいい仕事を、人に依頼するという手間をめんどくさがって僕が担当するから、休みが無くなっているのである。

 

担当生徒(特に個別授業)が増えれば増えるほど、生徒が休んだ際に振替を取る余裕が無いし、自分がダウンした際はもう目も当てられないことになる。

 

調整をしようにも、僕が担当という前提を死守するなら、別日にそれを組む余白はマジでないため、必然的に日曜日を潰す羽目になる。

 

この繰り返しが続いた結果、今の状態が常態化することになってしまった。とはいえ本心を語ると、この働き方に問題は別にない、それどころか無敵だとさえ思っていた

 

今の世の中は量より質とかワークライフバランスとかいった言葉を信奉して、つまり努力を怠る人が増えた手前、気合と根性が価値を持ちやすいと考えていたためだ。

 

それについて、なんと自分に都合のいい納得なのだろうと、今なら哀れみをもってそう思ってしまう。つまり僕の洗脳は、いつの間にか解けていたのだ。

 

ではなぜ、その洗脳は解けたのだろうか。これは、今年のこんなハチャメチャな働き方を通じて、こんなのただの自己満足ではないかと遂に疑義を抱いてしまったためだ。

 

もちろん、売上や生徒数の面を踏まえても今はまだまだ頑張りどころではあるが、その「頑張り」を僕一人が背負う形にするのは最適解ではないと、やっと気づいたのだ。

 

今冬は”自分”というカードを最後まで切らない。集団での戦闘をイメージしたシミュレーションゲームで、王様自身を戦いの場に送れないように、それを僕は目指したい。

 

―本当に我ながらゾッとしたのだが、そういえば連休なんてものは、いわゆる年末年始だのGWだの盆だのを除けば、1年半くらい取ってない気がする。

 

もう、連休ってどんなものか、その感覚自体が分からなくなってしまった。連休を取っていた頃の記憶や感覚はもはや跡形もなく、つまりどうでもいいと感じてしまう。

 

だがその構え方をしている限り、僕は僕がくたばることで組織を大崩壊させるという僕依存モデルなる無責任極まりないマネジメントを、これからも続けてしまう

 

ゆえに、今度こそ自分を完全に管理者側に置きたい。そのためにも、ChatGPTにも相談しながら、しっかりと計画立てて自分をコントロールしていくつもりだ。

 

マジで、今年こそ、である。てことで今日はこの辺で。

 

 

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