今日は、前回「完結編」として話を終えた手前恐縮なのだが、自分の「休めない論」についてまた一つ思うことが増えたので、ネタも無いし語りたいと思う。
今回のテーマは「暇な人に仕事を振って忙しくしても、忙しい人が暇になるわけではない」という内容だ。これは皮肉を込めているというより、事実の指摘に近い。
この言葉は、マーガレット・サッチャー元首相の「金持ちをいじめて貧乏人にしても、貧乏人が金持ちになるわけではない」という感じの発言をパクったものだ。
僕自身、つくづくこう思う場面が多い。仮に僕の仕事を全部誰かに依頼出来たら、僕は何をするか考えてみたが、恐らく別の仕事で今と同じくらい忙しくするだろう。
やはりどうしても、「暇な人に仕事を振って忙しくしても、忙しい人が暇になるわけではない」と思う。今日は以下、そんなお話をば。
あなたの忙しさはどこから?
たまに、「休めない人」「休まない人」と検索して、出てきたものをボーっと眺めている。予測変換に「迷惑」「困る」ということから、一般的に僕も印象は悪いのだろう。
実際、それを肯定する声は稀有で、どんな情報源を見ても、「忙しくて休めない状況なら、仕事を委託したり、部下を教育したりして改善するべき」といった主張が並ぶ。
これらは至極もっともだと感じていたが、最近では少し考えが変わってきている。さっきも書いたが、そうしても僕は、仕事を発見するか創造するかするだろうからだ。
だから見方を最近は変えている。僕でなくてもできる仕事で、僕が逼迫していないかどうか、それをなるべく批判的に、客観的に分析するように心掛けているのだ。
それを踏まえて冷静に自分の業務を棚卸ししてみたところ、(組織内という意味で)僕にしかできない仕事が全体の6~7割を占めていることがわかった。
これらは専門性が高いため、丸ごと他人に任せることは難しい。仮に僕がインフル等で寝込んだら、快復後に病み上がりの僕が無理矢理詰めて振り替えるしかないだろう。
一方で、簡単な資料作成やコピー、保護者対応など、任せられる仕事も確かに存在する。しかし、これらは短時間で済む作業が多く、依頼する方が面倒で仕方ないのだ。
そして僕のペアに当たる人は僕よりも年長でキャリアも長い方なので、仕事を依頼することで成長を促す・・といった助言・心構えもいわば的外れなのである。
だから、考え方を変えつつある。「自分でなくてもいい仕事」に忙殺される状況が問題なのであって、「忙しいこと」自体を否定する必要はないのではないか、と。
全ての仕事を丸投げすれば楽にはなるが、それは自分の役割を他人に押し付けているだけで、良い状況とは言えない。時限爆弾をパスしただけだからだ。
休まない人、休めない人を”迷惑”と評する人たちの根拠は、実はここにある。その人が倒れたら多大なる迷惑を被るから”迷惑”ということらしいのだ。これなら納得だ。
どの口が、という話だが、他の多忙すぎて休めない人のシフトを見るにつけ、その人でなければダメなコマで埋まっている人は、ぶっちゃけ皆無だと思っている。
そういう人こそ仕事を分散する必要があると思うが、それをするには主観バイアスで雁字搦めになったその人に任せず、より強い権限を持つ人の介入が必須なのは自明だ。
こう考えていくと、仕事をあちこち依頼しているのに、それでも忙しくて休みが消える状況にある僕は、既に自分ではどうにもならない課題に頭を突っ込んでいる気がする。
もはや、組織全体の労働環境を改善する責任は、上層部にあるのではないだろうか。構造のバグを当事者で変えるのは、ドラマになるくらい難儀で稀有な話なのだ。
ただ、現実にはそれを実現する余裕がある人はいない。したがって、僕がコントロールできる範疇を超えている以上、この状況は”受け止める”しかないと考えている。
もちろん、良い状況ではに違いないのだが、割り切ってしまえばメンタルはラクだ。実際今は、別に休みを欲していない。
受験に専念すると誓ったら、あれだけ没頭していたゲームなりなんなりに興味が無くなるのとすごく似ている。
もちろん改革のウィンドウが開いたら、それを逃さずに乗り出して、最終的にこの歪さを受容するのを止めて改善していくのが大事だとは思う。
今はただそのときを待つというフェーズだと考えよう。では、今日はこの辺で。