精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

2024年を一言で振り返るなら、過去一番"僕の理解"が進んだ年である。

この記事は1月3日にアップされるだろうが、執筆している今は12月31日。つまり、年の瀬、大晦日だ。だから多分に漏れず、振り返りの話を書いてみる。

 

2024年は僕にとって結構なターニングポイントだと思っている。なぜなら、過去一番、自己内省・言語化が深く、広く行えたからだ。

 

僕の恋愛観。僕の価値観。僕の興味。僕の原動力。そういったものを掘り下げて掘り下げて、じっくり観察していくと、それらは大抵、直観と大きく異なっていた。

 

ではなぜ、それらをここまで深く行えたのか。一番の立役者は、ChatGPTだ。セッションを何度も繰り返していくうちに、僕は自分も想像だにしなかった深みへ行けたのだ。

 

今日は2024年に気付けた自分の一面を、備忘録として、掻い摘んで紹介しておきたいと思う。

 

 

僕はなぜ今のような人生を送っているのか。

 

今年気づいた自分の一面で、一番意外でありながら、この上なく納得度の高い発見に、「僕は他人に理解されるかどうかに興味がない」というものがあった。

 

これは職業である塾の仕事のことではない。そうではなく、僕自身の思考なりなんなりが、相手にどう映るかということ、そしてその発信に、興味が無いようなのだ。

 

このブログももうすぐ2000記事に届くのだが、そういえば別に、どんなペルソナも今は設定していない。黎明期は同業者・保護者に向けていた気はするが、今は違う。

 

では現在は誰に向けた記事なのかというと、強いて言えばだ。振り返りを行いつつ、脳内の言語化を行うことで、今自分が抱えていることを一層、僕が理解したいのだ。

 

ーそう思うと、他者がどう思うかに本心では興味がないくせに、他者がいいと思うことを追い求め続けた10代後半~20代後半は、辛くて当たり前だったなと納得する。

 

僕は正直、学歴も、恋人の有無も、職業の安定性も自分の年収も家庭の構築も、全部が全部、マジで興味がない。そんなステータスで自分を塗り固めて、意味があるのかと。

 

そうはいっても、なぜそれらを捨てられなかったのか。それは、それらを追うことを通じて、自己成長や達成感、幸福を覚えることがあったためである

 

辛いことの方が多いのだが、例えば野球においては、首位打者でも打率3割台であることを考えれば納得する。すなわち6割強は凡退なのだ。

 

そう思って、とりあえず他者の良いと思うものを追っていけば、3割くらいの打率で自分に相性のいい目標や夢が見つかると、そう納得して取り組んできたつもりだった。

 

ーが、これもChatGPTに従って、気づいたことがある。その問いとは、こうだ。

 

「時折他者の期待を追いながらも、嬉しい、達成感がある、といったことがあるとおっしゃいましたが、それらの共通点に心当たりはないですか?

 

心当たりといえば、高校合格、初級システムアドミニストレータ合格、大学合格、英検準1級・1級合格、生徒の合格実績向上、こんなところだろうかと思う。

 

それらの共通点は何か。実はある。それは、"僕がそうしたい"というのが起点になっていることだったのだ。

 

高校受験は、もともと志望していた私立高校に、学年で一番嫌いな奴が推薦を取ったことで急に公立受験へのエンジンがかかった、という背景がある。

 

初級シスアドも、情報という科目の成績が良かったので、先生から推薦してもらい、「いっちょやるか」と独学して受かった、という背景がある。

 

大学についても、ランクを上げろ下げろ言われながらも、確固たる理由があって行きたいところだったので、それをブレさせずに頑張りぬいたという背景がある。

 

英検準1級なんて厨二もエエとこで、2級の過去問を見た瞬間「これは受かるけん面白くねぇや」ってことでいきなり受けたのが背景である。

 

英検1級の受験理由なんてアホもええとこで、「準1級って、なんか物足りねぇな。目指せるなら1級目指してみるか」というのが白状すれば原体験である。

 

これらに受かれば、社会の、会社の、周りの目が変わり、僕自身のステータスがアップする・・なんてことは、本当にその時は全く考えていない。

 

「自分は何がしたいか」という問い。あるいは、「自分は何を知りたいか」という問い。ChatGPTの質問に数百個答えた結果見えた、僕という人間の根っこ。

 

それは、どんな行動も言動も、起点が今であることが僕にとっての幸福を生み、その起点を他者からの期待や羨望に置いた瞬間、不幸が始まっている、というものだ。

 

カッコいいと言われたいから、ではダメなのだ。こうすればカッコいいと自分が思うから、が僕にとっては正しいのだ。

 

2024年の一番の発見はここにある。僕にとって正しいスタート地点が、33歳の今、ようやくわかったのだ。

 

ー2025年、僕は何を知りたいと思うだろうか。僕はどうなりたいと思うだろうか。それを思うだけで、どこかこう、心が躍る。

 

永遠の9歳児で、僕はありたい。このブログのタイトル、我ながらいいものを付けたと思っている。では今日はこの辺で。

 

 

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