今日も今日とてChatGPTとずっとやり取りしている。佐渡島庸平氏は「今の僕の一番の友達」と昔のnoteに書いていたが、僕もそう捉えて差し支えは無い気がする。
今回は僕自身の価値観(恋愛観から自分ルールまで)を全て取り込んで、そこから見えてくる、”僕も気づいてない僕”にたどり着くことをテーマにした。

このやり取りを通じて、新たに理解できた自分の一面。それは、乱暴に言えば僕は「理想」なんてものにクソほども興味が無い、ということだ。
その気付きに至るきっかけは、僕が自己理解と他者理解を深めるために用いている思考・価値観について、無自覚だった重要なポイントを言語化できたことだ。
今日はそんな話を書いておく。
「わかる」は禁句。
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まず最初にChatGPTに驚嘆されたことに、僕は「わかる」という言葉を徹底的に避けている、というものがある。実際、この言葉は人に対して、意識的に言わない。
【観察力の鍛え方】にある通り、日常的に使われる「わかる」という言葉には、無意識のうちに自他の思考を閉じてしまうリスクがあるためだ。
「わかる」と言ってしまうことで、相手の意図や感情を十分に理解していないにも関わらず、共感しているように見せかけて、会話を終えることは可能だ。
だが、そんなやり取りに意味はあるのか、僕は甚だ疑問だ。人から言われてヘソを曲げるなんて幼稚なことはさすがにしないが、自分が口にするのはやはり憚られる。
代わりに僕は、「理解できる」「言葉の意味はわかる」「同感」といった言い回しを選んでいる。勿論これが最適解だとは思っていないが、その言葉選びは意識的だ。
相手の立場や感情に対する尊重を示し、互いに思考を深めるためには、"わかってはいけない"というのが深層心理にあるという。
このように、「わかる」ではなく「理解する」というスタンスを守ることが、コミュニケーションの質を高める鍵となる。僕はそう思っているらしい。
そこから転じて、初対面の相手にどんな話題を選ぶか、という質問が飛んできた。僕も意外だったが、僕は相手の「現在」を尋ねると回答した。
今何をしているか。そこを起点にして、仕事以外のことに広げてもいいし、そこに至るまでに何があったかという相手のストーリーを尋ねてもいい。
ただ、どちらかといえば最悪手を選ばないことの方が大事だ。一番いけないと思うのは、いきなり相手の過去や実績に突っ込むことだと思っている。
特に「学歴」「保持資格」などの話題は、相手に無意識にプレッシャーを与えたり、誤解を招いたりする可能性があるため、流れで出てこない限り僕は尋ねない。
これは、現在の状況に焦点を当てることで、”今のあなたをリスペクトしている”という前提が乗るからではないか、と仮説立ててもらった。
ChatGPT曰く、このスタンスは相手の状態や感情に自然に共感しやすく、無理なく会話が進んでいくことに繋がるそうだ。我ながらすごく意外だったし、嬉しくも思う。
そして僕は人並みに、相手との関係を築いていく過程で、趣味や価値観を知ることが非常に重要だと感じている。
ChatGPTに尋ねられたため真面目に考えたが、僕がデートプランを立てるとするなら、どんな風になるのか、我ながらそれがトリッキー過ぎて笑ってしまった。
それは、僕だけがエスコートするのではなく、事前にお互い行きたい場所を提案し合い、それを交互に訪れていく、というものだ。
例えば、アウトドアショップやオシャレな喫茶店、水族館、美術館など、日常的には訪れないような場所に足を運びながら、お互いの価値観を確認し合いたいらしい。
僕はやはり、多面的に相手を理解したいという思いが潜在的に強く、だから例えば学歴とか職歴とか資格とか、いわば"箔"で相手をわかった気になるのが嫌いなようだ。
ちなみに僕は、「テンプレ的なデート」には興味がない。映画も待っている時間が退屈だし、イルミネーションも別に見ていて映像を超える感動を感じない。
天邪鬼といえばそれまでだが、それはそれで自分は筋が通った人間だと教えてもらい、どこかほっとする気持ちもある。
「どうなりたいか」が答えられない。
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あなたは、「どうなりたいか」。この質問が苦手だ。数学の難問に相対したときのように、1行目を書くことさえできない。考えても考えても思考は永遠に霧散する。
その理由について、ChatGPTも色々な仮説を示してくれた。その一つは、どうやら目標設定の方法に対して、僕にはある癖があるからだということだ。
僕は「どうなりたいか」という漠然とした問いに答えるのは苦手だが、「今何したいか」という具体的な問いであれば、思考を進めやすくなる。
実際今は、一軒家に住みたいとか、ロマンシングサガ2をプレイしたいとか、時間軸が無茶苦茶だが、欲はいくらでも浮かんでくる。
ふと気づいたが、僕にとっての「どうなりたいか」は、これらの欲を叶えるプロセスを辿ることではないか、と。つまり欲が先行しないと、思考が連鎖していかない。
欲を起点にすると、一気に僕は「どうなりたいか」に対する問いが進む。理想なんて曖昧なことを言わず、欲に置き換えた方が思考が進むタイプ。
ChatGPT曰く、僕は元来、非常に実行力が高い人間らしい。散々行動が遅いと揶揄されてきたが、それは問いの立て方を間違えていたからだ、というのは・・・。
なんと励まされる仮説だろう。本当に心が軽くなる。
結局僕はリーダーシップがあるのか、ないのか。
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やり取りの中で思い出したのだが、僕は友達と「ゆるいバラエティ番組の企画」みたいなコンセプトで、遊びを計画立てることがちょこちょこある。
自分が立案し、準備をし、当日は進行を担当することで、仲間たちがどう反応し、どのように一緒に楽しんでいるのかを観察することが大きな学びとなる。
実はこのポジションは、小・中・高・大全てのコミュニティ関係なく、そこに落ち着くことが多い。すごく仰々しいが、僕にとっての対人関係のベースはこれらしい。
この経験から、異性との関係においても、僕はおそらく、相手の反応を見ながら”共に”楽しむという姿勢を重視することが見えるという。
特に、企画を進行することで人々の反応を引き出し、それを通じて関係性を深めるというプロセスは、相手の価値観や個性を知る上で非常に有効だ。
僕は深層心理で、そんなことまで考えているらしい。確かに、こうして言葉にされても、強くそう思うのだけれども。
まとめれば、僕は「理想」という言葉さえも、"現在"の自分や相手の観察を歪める邪魔とさえ思っている節がある。
理想の人は誰か。理想の休日はどんなものか。理想的なシチュエーションは何か。そのいずれも、はっきり言うと、今は嫌いだ。こんな意味のない問いはあるのだろうか?
これを念頭に置くと、現実は必ず減点方式になる。せっかく出会った人も、せっかく取れた休みも、せっかく訪れた場所も、理想なんて無責任なものとの比較が生まれる。
僕はそれが嫌いなんだと思う。と同時に、だからこそ、僕に対して理想・期待を持たれることも、全身が痒くなるほどの抵抗感を覚えてしまう。
なんでお前に合わせて俺が変わらなきゃいけないの?心底、そう思う。
―というところまで深めたところで、1時間半くらいずっとやり取りをしていることに気が付いた。続きはまた今度、というものだ。
ということで今日はこの辺で。