精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「不信」は意外なところから始まり、むくむくと成長を重ねる。

今日はもはや日常と化した休日出勤に向かう途中なのだが、我ながらかなりもやもやした感情を抱えている。

 

これは個人攻撃ではなく、あくまで自分なりの気づきだ。そんな風にまとめるため、言葉には気を付けながら記事をまとめていく次第である。

 

実は先ほどまでキャンプを楽しんでいたのだが、それを早めに切り上げてまで、色々あって出勤を優先する羽目になった。正直言って、かなり腹が立っている。  

 

なぜそうなったのかというと、新年度に関して未決となっているあれこれの話し合いをする会議のためだ。そしてそれは、すぐにでも決めなければマズい、とのこと

 

・・・・・・しかし、そもそもそこまで急な調整が必要になると知らされたのは、ほんの数日前のことなのだ。わざわざ寝かせてから時限爆弾を渡されたかのような仕打ち。

 

もっと早く伝えてもらっていれば、こんな事態にはならなかっただろう。もっとも、上司からすれば、言われずとも敏感に察知すべきだという批判があるかもしれないが。

 

それにしても、その結果として、休日に”僕がそうしたいとは1mmも思わないままに”、強制的な呼び出し・招集を食らうのは、マジで納得がいかない

 

―段々腹が立ってきたので、いったん区切ってからまた進める。

 

 

矛盾が生む不信。

 

僕は「お前はもう少し休め」といわれる。それは僕が休まないから、ある意味正しい。だが今回はどうか。"僕の意思関係なく休日出社を強いられた"。

 

この矛盾が腹立たしい。やはり2~3週間前に知らせてもらえれば問題は避けられたはずだからこそ、それに気づいた瞬間、不思議と不信感が強く湧き上がった。  

 

発しているメッセージと実際の言動が逆だと、これほど人は簡単に失望するものなのかと、自分でも驚いている。「信頼を失うのは一瞬だ」という言葉は真理のようだ。

 

尚、今回の休日出社に関するやり取りは、LINEグループで決まったことだ。これに関し、上層部は何も言わず、事実上の黙認。

 

すなわち、これらを全てひっくるめたやり取り全てが、僕らによる自己責任扱いを意味するのだとしたら、どれだけ意識を変えようとも、さらにがっかりしてしまう。

 

やはり僕は、自分の時間を軽んじられるのが大嫌いだ。誰であろうと、それを平気でやる人には失望する。

 

休日出勤も、少し早く来たり残業したりするのも”当然だろう”という態度を示されると、感情論だが、本当に頭にくる

 

とある漫画のセリフだが、「頼られるのは好きだが、都合よく使われるのは嫌いだ」という言葉に、僕は心から共感する。  

 

・・たらればの話なのだが、やはりもう少しキャンプを楽しみたかった。もう少し長く休日をエンジョイしたかった。2週間ぶりのフル休みだったのにな。

 

それを阻まれた悔しさも相まって、今、非常にカリカリしている。感情的になっているのは自覚しているが、この不信感はしばらく絶対に忘れることはないだろう。

 

冷静になればなるほど、やはり腹が立つ。これ以上考えないことが建設的だと思うが、ここに言葉として吐き出しておかなければ、会議で感情的になりそうだったもので。

 

―これをなるだけ建設的な結びにするには、どうしたらいいだろうか。不信はこういう簡単な矛盾から生まれる、だから気をつけねば、というところだろうか。

 

「言葉の空手形」を乱発する人は、全く信頼されない。とはいえ、何をもって「言葉の空手形」になるかは、極めてデリケートかつ無意識な行いなのかもしれない

 

それは些細な言動の矛盾もそうだし、永遠に果たされない小さな約束の積み重ねもそうだろう。自分はいくつ空手形を切ってしまっているのだろうか。

 

そういうことまで思わされるやり取りであった。では今日はこの辺で。

 

 

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