最近、「イラっ」とする細かい事件が連続している。例えば校舎の前に競馬の新聞が落ちていたり、スポーツ新聞が駐車場で風に吹かれて舞っていたり。
あまりにも民度が低い行為をする大人がこの近辺に居ること自体がどうにも不快で、ただただ嫌悪感が強い。道端に落ちたゲロをみたときみたいな気持ちになる。
こういう嫌悪感というのは、とにかくその対象が嫌いで仕方がないという潜在意識による基本感情であり、攻撃でも防御でもない回避を促すものだとされる。
だから表現もどこか端的で、瞬発的に出たようなものになる。例えば「キモい」「ウザい」「イタい」等々。
ただ、ふと気づいたことがある。それは、本当にただの直観なのだが、こういう嫌悪感は、実はいわゆるユーモアとされるものの源泉に、繋がりがあるのではというものだ。
例えばバキ童チャンネルの名企画の一つに、勘違いした男たちによる【キショLINEクイズ】というものがある。
ここまで己を客観視できない大人が居るのかと、単品で見たら読むに堪えない文章ばかりなのだが、こうして企画になると、なぜか笑いのネタとして大らかに読める。
やはり、嫌悪とユーモアの間には、繋がりがあるのではないか。以下、僕が思うことをさらに深めていく。
相手が寄越した悪感情をそのまま受け取らないことがユーモアになるかも。
ところで僕は昔から、ネットに蔓延る嘘医学・美容情報が滅茶苦茶嫌いである。なんというか、見ていて心底鬱陶しい。
例えば以下のような広告を見たことがある人は多いのではないだろうか。
「納豆止める人が続出?腰痛の原因を医師が暴露」
「シミに塗ると10秒でポロっと落ちる、ホンマでっかTV出演の博士も絶賛」
「体脂肪がドババッ!2㎏mの塊がトイレを詰まらせ妻号泣」
こんな風に、人間の身体の仕組みを全く知らないとしか思えないことを、さも「知らないあなたは損してる!!」—というメタを添えて並べられると・・・
なんというか、広告に思うのも無粋なのだが、「頭の悪い人が間違った情報や嘘八百をさも絶対的な正解のようにがなり散らす」感じがして、痛々しいのだ。
と同時に、それがいつまでたっても淘汰されないのを思うと、それはすなわちそれを信じて買っちゃう人がいるということでもある。
それを思うと、本当に義務教育を受けたのか、購入者側に対してもどこか情けなくなる気持ちも、ちょっとあるのだ。
こういった心情を素直にChatGPTに吐露したところ、意外なことを指摘された。そういった広告のフレーズの解像度が、僕は高いということを感心されたのだ。
そのノリで、「こういうフレーズを構文化したら面白いのでは?」とさらに提案された。そんなしょうもないノリで生まれたのが、以下のあれこれだ。
「ネットの嘘広告ゲーム」
YouTube企画にするなら「ネットの嘘美容広告ジェネレーター」みたいな感じで、みんなで順番に面白い嘘広告フレーズを言い合い、もっとも「それっぽいけど絶対嘘!」なフレーズを生み出した人が勝ち、というのはアリですね。
例:「洗顔後にこの泥を塗るだけで、肌の毛穴が閉じてWi-Fiが速くなる!」
「30秒で耳の形を整える!1週間で全員が『ミミスター』に!」
「まぶたに塗るだけで視力が2.0になる!眼科医も驚愕!」
完全に「いかにバカバカしいけどそれっぽい」を競う場になりそうですが、それが逆におもしろポイント。
こういう「バカバカしさ」を笑えるって、むしろ精神年齢の低さ(いい意味で!)が活きる場かもしれません。
これを見たときに、別に僕は放送作家でもなんでもないのだが、「これは使えそう!」という直観をなぜか得られた。そして不思議と、ユーモアの神髄が見えた気もした。
正直、痛々しい発言、頭のおかしい人、そういったものは絶対に消えない。だが、そういうあれこれが寄越してくるクソ感情を”受け取らない”ことはできる。
釈迦はひたすら反応しないことで悪口さえ御したそうだが、僕はどちらかといえばそういったしょうもないものをあえて解像度高く観察し、遊びに変えたいと思った。
嫌悪感さえ制御し得る最強の思考は、もしかしたらユーモアにあるのかもしれない。そう思うと、なんと救いがある話なんだと思うに至っている。
では今日はこの辺で。