「仕事は忙しい人に頼め」という言葉がある。これはどの立場の人が言い出したか知らないが、頼まれる側からすると腹立たしくて仕方ないものだ。
確かに、雑で責任感のない人に仕事を任せると大体は二度手間になることから、最初からきちんと対応できる人に回したい。その理屈は正直理解できる。
忙しい人はなんだかんだで信用があり、確実に仕事をこなすからこそのその様子というイメージもあってか、軽々しいかどうかはさておき、仕事を依頼されるのだろう。
僕自身、仕事の処理スピードは速い方だと思う。だが、それはセンスとかそんなのに胡坐をかいているがためではない。自分の時間を確保するためだ。
決して他人の仕事を抱え込むためではない。自分のやりたいことをするためにすべきことをまず終わらせる。そのためにAIを頼ったりアプリを使ったりしている感じだ。
だが、なぜか僕のところには次々と作業が集まってくる。〇〇さんに依頼したらいいじゃないですか、と返したこともあるが、「でも・・」と意味深な
ただ、断るためのやり取りをしている時間があれば瞬殺できるものが大半なので、即答で「やっときますわ」と受理することが多い。
とはいえ最近は無条件で受けることは止めて、「じゃあ今日中で」と言った風に、締め切りに結構余裕を持たせるようには心掛けている。主導権は我にあり、なのだ。
・・・さて。こうしたボヤきから見えてくる、「仕事を忙しい人に頼むことのダークサイド」とは何か。それは、そもそも忙しい人がなぜ忙しいのかを考えると見えてくる。
今日はそんなことをつらつらと書いていこう。
忙しい人が忙しい理由はなんだ?
例外だらけであることを承知で言うが、忙しい人は、自分がやるべきことを自覚し、積極的に取り組んでいるからこそ忙しいという構図を散見する。
学校の勉強がわかりやすい。学校の授業だけ聞いとけば満足な人はそれだけで終わるが、過不足を感じる人は塾や家で予習・復習に”忙しい”のと同じである。
この構図は、仕事においても同じだと、僕は諦観する。僕が猛烈にキーボードを叩いているのを尻目に、動かない人は驚くほど動かない。
会議ではやる気を見せるが、実際にはYouTubeを見たり、お菓子を食べたりしていることもある。休憩中という体裁なのだろうが、なんともむず痒い光景である。
面倒なもので、そういうオフモードの人に仕事を振ると、その時間を邪魔されたことによる理不尽なイライラをぶつけられることもある。依頼した側も不愉快だ。
結果として、仕事は結局、忙しい人のもとへ行く。しかし、その忙しさの本質は、自分がすべきことに追われている状態であるとしたら、どうか。
他人の仕事を無邪気に引き受け続けること、もといそういう人に依存しすぎることは、本来組織に必要な業務が滞るリスクがあるといえないだろうか。
仕事をしない人の負担は増えず、僕の業務量は高止まりを続けている。では僕の仕事をその人たちに手渡すとどうだろう。色々雑に扱われる未来が見える。
そんな状況に対して、いちいち感情的に反応するのも面倒なので、依頼された雑務は感情を込めず、ツールを駆使して淡々と処理するようにしている。
そうして僕が本来したかったことは、また次の日へ流れていく・・・。なんともやるせない。本当にそう思うときの酒は、なんとも味気ない酩酊を僕に与えてくれる。
「忙しい人に仕事を頼むことのダークサイド」とは、忙しい人がなぜ忙しいのか、また頼まれることで何が失われているのかを、多くの人が無頓着である点にある。
そう考えずにはいられない。ということで今日はこの辺で。