精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

人生において、”止めてよかったこと”のダントツ1位は、〇〇です。

今日は、これまでの人生において、僕が「止めてよかった」と特に思ったことについて話す

 

僕はこれまでに、数年程度続けたことをスパッとやめた経験がいくつかある。例えば、野球も、携帯ゲームも、一時期は人生丸ごと投資するレベルでハマっていた。

 

しかし前者は高校入学と同時に、そして後者は23歳頃には止めてしまった。そして、20代後半には、5年ほど吸っていたタバコも、しれっと吸わなくなっている。

 

もちろん、これらについては、止めた結果得られたこと、取り戻せたことはすごく大きく、その決断は間違っていないと、現時点では納得している。

 

しかし、それら以上にダントツで、「止めてよかった」と思うことがもう1つある。それは「格好をつけること」だ。今日のメインテーマはこれに据えて、以下書き殴る。

 

 

「格好をつける」ことの不毛さたるや。

 

「格好をつけるのをやめる」とはどういうことか。これは言ってしまえば、「他人から見てかっこいいと思われること」を意識しないようにすることだ。

 

社会的に「こういう行動をするとかっこいい」とか、「こういう言動が魅力的」とされるものはいろいろある。スタンダード化された「正解」とでも呼ぼうか。

 

例えば、漫画やドラマのキャラクターは、魅力を際立たせるために性格や言動、物語が作り込まれている。その一つ一つはある意味、カッコよさの模範だと言える。

 

そうした言動をヒントに、イタくない範囲でそう振る舞うことを、僕も特に学生だった頃は強く意識していた。それが社会へ参加する資格だと思っていたからだ。

 

だが、いつからかそういう価値観を持つこと、そういうフィルターを通してあらゆる物事を解釈する構図自体に強い違和感を覚え始めた

 

詳しい時期は忘れたが、それは「恋愛」への疑義がきっかけだ。僕はこのゲームの仕組みや実態を観察するうちに、格好をつけることの不毛さに気付いたと言っていい。

 

例えば「モテる男性」には一定のテンプレートがあり、顔のかっこよさは前提として、その仕草や言動、ファッション、価値観までが定型化されている

 

それを真似すればモテると思い、多くの男性がこぞって取り入れる。そしてそれは瞬く間に変動する。10年前のカッコよさが、今のそれと異なるなんてザラだ。

 

余談だが、2015年の流行ファッション(いわゆるコーデ)は以下のようなものだったという。僕は全く記憶にないが、今周りにこういう格好の人は、確かにあまり見ない。

【STYLER×ACROSS座談会】2015年から2016年のメンズファッションを振り返る ACROSS(アクロス)

 

白状すると、僕も20代後半までは、そういう恋愛における正解を強く意識する部分があった。自分がしたい格好ではなく、いわゆるモテるテンプレの服を買う感じだ。

 

これはモテたいというより、「彼女すらいない男はダメだ」という意見を周囲から頻繁に聞かされるうちに、「このままではまずい」と思い込むようになったがためだ。

 

その結果、自分の気持ちとは関係なく、「こう振る舞えばモテる」「こう話せば魅力的に見える」といったテクニックを学び、実践するようになっていった

 

まるで受験勉強のように、恋愛の「攻略法」を学ぶことに必死になっていた。成果が出ないのは、努力不足。受験勉強と完全に=で繋げて、飽きもせず色々試行錯誤した。

 

しかし、振り返ってみると、それは完全に無駄な時間だった。受験勉強は努力すれば結果がついてくる可能性があるが、恋愛はもっと不確かでいい加減だ。

 

そもそも、得られる成果が彼女という存在だとして、それが僕の人生においてどこまで価値を持つのだろうか。改めて考えた結果、生じたのは強い疑義だけだった。

 

そうした「モテの法則」を学んでも、僕はまず報われない。かといって自分自身に全くセンスも無いし、それでも頑張った結果得られる対価にも、価値を感じることがない。

 

結局、僕にとって、「恋愛はクソゲー(つまらないゲーム)だ」と思うようになった。それに関する特集記事もショート動画も、見ていると強い胸焼け感を覚える。

 

そこを立脚点として諸々考えた結果、そもそも恋愛限定ではなく、他者の理想とする自分なんてものを空想して、それの再現を目指すこと自体、不毛だと思うに至った

 

僕にとってそれは幸福なのか。いや、否だ。では何をしているとき、僕は幸福なのか。それは、自分の好奇心をはじめとする、己の想いに従うことだ。

 

30歳を過ぎたあたりで強くそう自覚し、そこから特に表面化した変化には出ていないだろうが、僕は僕の行動原理をガラッと意識的に変えることに決めた

 

具体的には、行動の起点を「他人目線」ではなく「自分の気持ち」に置くようにした。これはすなわち、「格好をつけること」を止めたということである。

 

例えば、合コンに誘われたとする。以前の僕なら「行くのが当然」と考え、その場に適応できるように盛り上げる術を調べて練習するなど、努力していたことだろう。

 

しかし、今の僕は、そもそも合コンに行きたいとは思わない。だから最初から断る。格好をつけるなら参加するのが正解だが、自分に正直になるなら断るのが正解だ。

 

この考え方を徹底すると、ファッションにも影響が出る。以前は「モテる男のコーディネート」とされるものを無条件に選んでいた。

 

しかし、だからといって、無頓着になりすぎるのも嫌だった。今でも強く、おじさん臭いコーデをするのは避けたいと思っている。

 

そこで最近は、数多くのコーディネート例を見比べ、自分が「これはかっこいい」と思えるものを選ぶようにしている。この辺りは折衷案と言ってもいい。

 

こうした変化のおかげで、とにもかくにも人生が楽になった。他人の目を気にせず、自分の好きなことを素直に選べるようになったからだ。

 

「格好をつけることの無意味さ」に気づくのは、もしかすると30歳という年齢を考えると、かなり遅いほうだったのかもしれない。

 

しかし、今のうちに気づき、修正できたことには大きな価値があると思っている。なぜなら、自分の人生を取り戻せないまま死ぬより、格段にマシだからだ。

 

ということで、僕はまだ33年しか生きていないが、長年続けてきた習慣の中で「やめて本当に良かった」と思えることの第1位は、この「格好をつけること」だ。

 

タバコよりもこの恩恵は大きいとさえ思う。それが伝わっていれば嬉しい。では今日はこの辺で。

 

 

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