ここ最近自分のメンタルに大きな変化を感じている。それは徹底して自分の心が静かだというものだ。本当に波風立たず、ひたすらに凪いだ水面が広がっている。
ちょっと前まで、「退屈な時間が嫌い、なぜならネガティブ思考に囚われるからだ」といった少し恥ずかしいことを堂々と書いていただけに、現状が不思議でならない。
なぜなら今は正直退屈だからだ。やりたい仕事も進めたい作業もあるが、病み上がりゆえの絶望的コンディションにより、あらゆることの気力が完全に削がれている。
正直ようやくそれらの底を脱しつつある気はしているが、まだまだ回復までは遠いんだろうなと、そういう状態。健全な頃が懐かしく思えるほどだ。
僕は健康が壊れれば、ネガティブな思考が強まると思っていた。だからたっぷり寝て、運動もして、自分のコンディションはなるべく整えてきたつもりだった。
しかし蓋を開けてみれば、健康が壊れた方がネガティブなことを”考えない”という方が、実態に近いようだ。今日はそんな発見を書いてみる。
「健康あってのネガティブ思考」
正直、不安は消えることがない。不調である今も、ふと”漠然としたそれ”に気付くことはある。だがどうしても、それに興味が湧かない。それが今の本心だ。
自分のメタは相変わらず、僕の顕在意識の面前に、過去・未来・虚実関係なく僕を不安にさせたいあれこれを四六時中突き付けてくる。
しかしどれもこれもマジで”興味がない”。世の中から感情を切り離したらこうなるのかと、すごく他人事として、かつ冷めた目で、自分のメタすら観察できている。
これは僕の精神年齢が急激に成長したというより、単に病み上がりで心身のコンディションが万全から程遠いがために他ならないんだと思う。
全てに対して興味が失われると、凪のモードに入ることができる。なんというか、ただうつ病になったとしか思えない世界だが、正直これはこれで心地よいので問題ない。
この感覚は、多分回復に伴ってどんどん忘れていくものなのではと思う。だから今の自分が、一体どんな世界を見て感じているかは、言葉にしておかないと勿体ない。
ということで以下、より一層未来の自分に向けて、「今俺の内面はこんなだぜ」ってのを細かく書き並べていこうと思う。
全てから関心が消えた世界。
繰り返しになるが、今の僕のメンタルを一言でいえば、全てに興味がない、に尽きる。陰湿なニュースも、エロ動画も、将来の不安も、全部マジでどうでもいいのだ。
ただ、それが無条件で悪いかと言われれば、それも違う。おそらくだが、今僕が見ている世界こそ、感情が切り離された状態、つまり瞑想が目指す世界だからだ。
今の心の在り方を無理矢理イメージで語るなら、興味がない魚がたくさん泳ぐ水槽にダイビングして、それを真ん中から360℃方向に見ている気分だ。
「あっちにもなんか泳いでるなぁ」「岩陰になんかおるなぁ」ということは思うが、それを目で追ったり、姿を確認したりする気は起きない。在るがままに任せている。
それと同様に、僕の認識という巨大な水槽の中では、今も多分たくさんの不安や思考、感情が泳いでいることだと思う。だがそのいずれも、興味が湧かない。
”ただ眺める、観察する”の真意がこういう世界やモノの見方を指すのであれば、僕はいわば没入・没我を疑似体験できていると言えそうだ。
全てから関心が消えた世界こそ、明鏡止水の境地かもしれない。コロナがもたらしてくれたものは、味覚・嗅覚障害以外にも、ちゃんと生産的なものがあったようだ。
ネガティブ思考が止まらないときは、僕は実は健康である。だが、健康を失ってみても、逆に精神がびっくりするほど凪に至るなら、ただの王手飛車取りだ。
そんな不思議なことを今、しっかりと噛み締めている。元気になったら忘れてしまうんだろうけど、言葉ではきちんと記憶したいと思う。では今日はこの辺で。