塵も積もればなんとやらであり、気づけば約30週を費やして、数百ページの洋書を読了するに至っている。
正直、英検1級取得者の中でも、僕自身の継続力は高い方なのではないかと自負している。毎日リスニング・単語学習・長文読書は、仕事柄もあるがやはりサボれないのだ。
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今度は何にしようか。この冒頭を書いている今はその目星が全くついていないのだが、リサーチすれば大抵すぐヒットするため、そんなに焦らなくてもいいだろう。
物語文を読んでみるのもいいが、自分が学びたいと思っているテーマがあり、それの本がデータであるなら、また説明文を読むのも悪くないと思っている。
それについては、週の途中で紹介しよう。では以下、今週の本題である。
―ってところまで書いた数時間後、僕の身体に変調が起きた。発熱、頭痛、嘔気・・。その他諸々を経て、どうにも耐えられないと思い、病院へ行った。
すると、人生初のコロナ陽性。今はもう洋書どころではない。長年のルーティンを崩してでも静養に努めないと、身が持たない状況になってしまった。
ということで序盤はコロナの静養日記になると思うが、後半からちゃんと新しい洋書を選んで、またルーティンを動かしたいと思う。では以下、本題だ。
- 2月3日(月) ダウン。
- 2月4日(火) 引き続き、ダウン。
- 2月5日(水) ダウンから立ち上がって今。
- 2月6日(木) 五感の内2つが無い世界。
- 2月7日(金) 結局再読することに決めた。
- 2月8日(土) 「知らないっす」の力。
- 2月9日(日) 「考える」とはなにか。
2月3日(月) ダウン。

人生いつ以来だろうという高熱に苦しんでいる。38℃後半から39℃前半を行ったり来たりで、純粋にしんどい。考え事をしようにも、それは一切凝縮せずに霧散する。
こういう時は洋書を読んだところでイライラが募り、嫌になるだけだ。だからしばらく、完全に回復するまでは、ちゃんと頭もオフにしようと思っている。
そのあとで、また何を読みたいか、己の胸にじっくりと問うてみたいと思っている。
2月4日(火) 引き続き、ダウン。

今日も引継ぎのうえで会社を休み、なるべく静養に努めている。今このブログを書いているのも、30分という上限を決めたうえで、リハビリを兼ねた作業の時間として、だ。
コロナは大したことないとか、死にかけたとか、色んなコメントがあるが、僕のコンディションに関しては、インフルを疑うほどの高熱が本当にきつかった。
今でこそ落ち着いている気はするが、夜が深まると熱がぶり返すという話を聞いたこともあるため、油断はできない。
読書をしてみようとしたが、やはり集中が難しい。こういう時は素直に、寝るに限るということなのだろう。そうすることにしよう。
2月5日(水) ダウンから立ち上がって今。

罹患から数日が経過したこともあり、熱は下がった。だが体力が想像以上に失われており、シャワーを浴びるだけで20分くらいのガッツリした休憩が要るほど消耗する。
一応明後日から復帰予定なので、頭のスイッチだけは入れられるようになりたい。ということで過去読んだ洋書をもう1度、つまみ食い方式で読み返している。
【Think Like a Freak】の一説には、小学3年生の始点で考え、問いを立てよという助言がある。これは僕が得意とするところだが、添えられていたアドバイスは忘れていた。
曰く、「ただしそのアイデアは24時間寝かせること」というものだ。子供のバイアスが全くないアイデアは純粋だが、だからこそ大体は愚かなのだ、と。
一晩寝かせて臭み・エグみを取り除いてから、初めて大人の視点を持って完成度を上げていくべしと、そう書かれていた。
僕は立案からの実行をとにかく急いていたが、それは巧遅拙速の悪いところだけを組み合わせたような愚策だったのかもしれない。すごくイイ反省になった。
2月6日(木) 五感の内2つが無い世界。

コロナの後遺症を語るうえで外せないのが味覚・嗅覚障害ではなかろうか。正直感染発覚当日は普通にコーヒーの味がしたので全く気にしていなかったが…
実は2日目から、味覚は皆無で、嗅覚も平素の5%くらいしか残っていないと思うほど、機能が低下・あるいは停止している。
臭いも味もしない世界。これはなかなかにショックだったと語る人もいたが、僕はなんだか”なんだこの感覚!面白い!”と謎にポジティブである。
僕はチーズが大嫌いなのだが、今なら食えるのではないだろうか。そんなアホな実験さえしてみたいと思っているが、食欲が皆無なので乗り出す気は無い。
五感の内2つが無い世界は、色々と新鮮だ。ただし目や耳が失われたらシャレにならないので、下手なことは言わないようにしておこう。
2月7日(金) 結局再読することに決めた。

しばらく、いい機会なので【Think Like a Freak】を再読してみることにする。気が済んだら終了、ということで。
さて。子供のように考える利点については、問題の定義を大きく捉えすぎて本質を見失うリスクの軽減がある。
針小棒大の逆、目が眩むほどの難題さえシンプルに見抜く力は、どちらかと言えば誰しもに備わっている類いのものだ。
開発して鍛えていくというより、思い出す感じに近い。複雑に考えるのが好きな人は、すなわちスマートではないのだろう。
僕もすぐ難しく考える方が正しいと思ってしまう。これもこれで子供っぽいが、これは単に可愛げの無い稚気に過ぎない。
真の9歳児は、王様は裸だと言えるあの子を指す。僕もそうありたいと思う。それは僕に対しても、だ。
2月8日(土) 「知らないっす」の力。

大人になることの弊害は、「わかりません」を言えなくなることだと筆者は指摘する。これは確かに、方々で言われることだ。
正直、わかってる風のやつの底の浅さは、不思議なことに聞いていたらすぐにわかる。しかし自分も、なぜかすぐ「わかりました」と言いたくなる。
そこにあるのは見栄とか建前とか、つまりチンケなプライドに根差す部分らしい。いつの間にか醸成されこびりつく、くだらないエゴ。
僕ももっと堂々と「わからない」と白状できる人でありたい。意外とそれで返事に窮するのは、本当に無知なやつの方なのだから。
2月9日(日) 「考える」とはなにか。

「考える」とはどういうことか、よく考えれば言葉にするのは難しい。例えばすぐに答えをみるといった行動は、「考える」の具体例として不適切、というのはわかる。
しかし問題と相対している状況が、そのまま「考えている」ことを指すかもなんか怪しく思う。ボーッとしていたり、違うことを考えていたりなんてザラだからだ。
悩む、調べる、思う。これらとは別の言葉で定義されなければ「考える」にはならないと、昔の人は思ったことだろう。
なんか調べがいのある深い話に、たまたまだが出くわせたことを嬉しく思う。
では今週はこの辺で。