僕は人並み以上に【不安】に対する感受性が強いような気がしている。一時期はそれを消す方法等を調べまくっていたが、無理だと分かってからは、考え方自体を変えた。
【不安】とは準備不足からくる感情だとされる。ならばそれを避けずに徹底的に向き合うことによって、仕事等の完成度が上がり、観察力も強まるのではないか。

こんな風に、数多の人の建設的な考え方を参考に、僕の強すぎる【不安】をポジティブに解釈し直そうと、思考の土台から挿げ替えるつもりで、ここ数年取り組んできた。
しかし、最近とても不思議なことが起こっている。簡単に言うと、過去の僕が知ったら驚きで目玉が飛び出るのではと思うくらい、今はそもそも【不安】を感じないのだ。
いうなれば僕は、自分の潜在意識が持ってくる【不安】を、自動的に、かつ徹底的に、完全に”無視”できている。すべてに対して、「あー、はいはい」という風に。
今日はその感覚をなるべく言葉にして書き残しておく。
病が教えてくれる平穏。

毎日同じことを書いている気がするが、コロナに奪われた体力はまだ戻り切っておらず、と同時に集中力もあまり回復していないように感じる。
思考がうまく進まず、連想がすぐに途切れてしまう。そして同時に感じるのが、自分の感情も含め、周りの出来事すべてに興味がなくなっているということだ。
文字通り全く興味がないため、物事を深く考えたり、発想を転換したりする気力がわかない。もちろん時折【不安】は頭を掠めるが、すべてが面倒で、どうでもいい。
例えば仕事が終わらない、将来自分はどうなるのか、といった【不安】を想起させる言葉は、まるで夜の海で魚が跳ねたときみたいに、姿は見えずとも存在は感じる。
ただ、今はそれに興味を持つことがやはり無い。変な話だが、興味を持とうとしても全くそちらにそそられない。
つまり今は、【不安】に対して、自動的なスルースキルを発動させている自分がいる。どこかFFっぽいが、オートスルーとでもいうべき能力が自分に授けられた感じだ。
このスルースキルの発動と継続は非常にうまくいっており、元気がないだけではあると思うのだが、結果としてこれまではあったストレスも、全く感じていない。
もちろん身体や頭が思うように動かないことに対する苛立ちはあるものの、それ以外の部分の、普段なら感じているはずの不安やイライラは、本当にスッカラカンだ。
不安という感情を無視することができると、こんなにも気持ちが楽になるとは思わなかった。正直に言うと、思ってはいたが、それはユートピアに過ぎないと諦めていた。
いけないクスリに手を出したようにしか思えないが、今僕は他力によって、このユートピアに”いることが”できている。その世界は刺激的ではないが、穏やかで寛げる。
【不安】の相手をすることもそれはそれで有益だが、行き過ぎればそれは、親への依存を強めたり問題行動を増やしたりする子供にしてしまうようなものだ。
そのことをしっかと学べている今、僕はどこか充足感さえ覚えている。ただし、これがただの病み上がりコンディションゆえの恩恵であることも同時に強く感じている。
最短でおそらく、あと2、3日程度でこの感覚は収まるだろう。だから、今はこの感覚を言葉に残しておき、後々再現する際のヒントになることを期待している。
健康体を取り戻してからも、ここまで徹底的に凪いだ心を維持している自分。そんな素敵な未来を想像すると、なぜだかどうしても心が躍る。
瞑想、また日課に戻そうかな。ということで今日はこの辺で。